すなわち、
①支払側…利子は損金(必要経費)に算入されるのに対し、配当は算入されない。
②受取側…利子はそのまま益金(収入金額)となるのに対し、配当は益金不算入制度(法人の場合)や配当控除制度(個人の場合)がもうけられている。
これらの差異は、基本的には合理的なものであると考えられる。
事業を営む際に借入により資金調達をすれば、利払いはコストとして投下資本の回収計算の中で控除されるべき内容であるが、配当は回収計算が修了した後の利益を分配するものであるから、会計学上のコストではない。
また、利子は信用供与の対価として収益性を有するが、配当は、法人段階で課税済みの利益を分配したものであるから、投資家段階でさらに課税すると二重課税になってしまう。
このような両者のドラスティックな差異は、原資産である債券(debt)と株式(equity)の法的性質の差異に関係づけられてきた。伝統的に、株式と社債を区別する法律的なメルクマールとして、
①経営参加権、
②配当可能利益の分配と利息の支払、
③残余財産分配における優劣、
④償還性の有無、
の4点が挙げられており(日銀金融研究所「デットとエクイティに関する法原理についての研究会」報告書)、先述の課税関係の差異は、②に対応している。
しかし、投資家の視点で純粋経済的に考えた場合、債権か株式かという法的な違いはさほど重要なものではない。投資家は、リスクに対するリターンというキャッシュフローを求めているに過ぎず、その観点からすると、債券と株式という伝統的には全く異なる二つのものが「キャッシュフロー」という視点から、同一平面上に配置されることになる(MM理論など)。さらに、契約とは必ずしも完全なものではありえず、事後的に補完されうるべき性質のものであるとする不完備契約理論(incomplete contract theory)の台頭は、デットの分野においても「コントロール」の側面があることを理論的に解明した(我が国では我妻先生が契約が信義則の束であることをいち早く論じられている)。
結局、債券と株式とは、「キャッシュフロー」と「コントロール」という二つの権能の組み合わせのバリエーションの両極端に過ぎないことが判明したわけであり、証券の設計はこの中間に属する無限の可能性を秘めているという考え方が出てくることとなったのである(メザニン・ファイナンス)。
ここに来て、利子とは何か、また、配当とは何か、という問題があらためて浮上してくるのはまことに自然なことである。
メリルリンチ証券が日本で開発し、オリックスが発行した通称ココ・ライオンズ(CoCo-LYONs)という金融商品がある(日経金融新聞2002年6月27日「金融ハイテク入門」)。Contingent Conversion Liquid Yield Option Notes---転換制限条項付転換社債型新株予約権付割引社債という難しい名前の頭文字をとったものだ。ゼロクーポン債であるため利子所得として源泉所得税の対象にすることができず、手取額が大きくなる。結局1年間全く課税されなかったようだ。国税庁は歯噛みして悔しがったのではないか。私は堂々たるメリルリンチとオリックスに敬服する次第だ。