サムライに営業権は存在するか?
平均年齢が非常に高い税理士業界においては、後継者のないまま税理士が死亡した場合、
いろいろなパターンで顧問先や従業員の引き継ぎが行われているようである。
また、各種業法において、法人化が各々認められており、個人から法人へと事業が承継されるケースも市場において散見されるところである。
今日は、これらを敷衍して、弁護士や司法書士等のサムライ業一般の問題として考察を加えてみよう。
たたき台としてまず掲げなければならないのは、個別通達である。
「税務および経理に関する業務」の譲渡に伴う所得の種類の判定(昭和42年7月27日直審(所)47
税理士が、その業務を廃止するに当たり、従来関与していた得意先を他の税理士等に引き継いだ場合において、その引継ぎを受けた税理士等から受ける金銭等に係る所得の種類の取扱方について、広島国税局長から上申があったが、これについては、雑所得として取り扱うよう指示したから了知されたい。
この個別通達を根拠として、弁護士が死亡した際に、パートナーが、死亡した弁護士の平均年間事業所得に事業用資産を加えた金額(金額にして年間顧問契約料金の2年分程度)を遺族に対して支払った事件において、国税不服審判所の裁決がなされた事件が篠原敦子税理士により投稿されている(年月日不明、出典JTRI税研133号(2007年5月))。結論は、この通達に引っ張られたか、備品等の譲渡対価は譲渡所得、それ以外の部分については持分清算の対価として、事業所得とされた。
ちなみに、請求人代理である税理士側の主張では、営業権の譲渡であるから、総合課税の譲渡所得であるとされており、この場合には長期譲渡所得として2分の1が課税対象となる。これに対して、課税庁側の主張は、備品等は譲渡所得で、その他は通達どおり雑所得とするというものである。
わかりやすいように表現すると、課税庁が収入金額をそのまま課税対象とする主張をしたのに対し、請求人は2分の1課税を主張し、裁決の結果は課税庁の勝利に終わったということである。
さてさて、営業権が士業に存在しないという主張の根拠は、次のようなものである。
①税理士(通達)も弁護士(裁決)も、個々人の経験や知識や技能を活用することによって営まれる一身専属的な業務である。
②顧問契約上の地位は、相手方との信頼関係に基づく一身専属的な地位である。
このような理由から、業務を他人に承継したとしても、それは得意先を斡旋したことの対価でしかない、として雑所得(事業所得)という判定がなされたわけだ。
ここで疑問が起こるのは、たとえばあさひ法律事務所が西村ときわ法律事務所に弁護士ごと営業譲渡された際に、どのような処理がなされるのだろうか?ということだ。あるいは、個人税理士が法人化したときに、社員や得意先をすべてひっくるめて法人に計上するときには、いったいどのような処理がなされるのか。
このような場合、分析的(ミクロ)考察をすれば、いったん社員が退職し、また就職したとか(社会保険労働保険の処理はそうなる)、得意先はいったん契約を破棄してまた契約したとか、売掛金は債権譲渡により移転したとか、事務所の賃貸借契約は契約者たる地位が移転したとか、そのようなこまごました処理を観念できないわけではない。
他方、総合的(マクロ)考察をすれば、社員や得意先などを含んだ営業という一体のものが一挙に移転したと考えることになる。
個人事務所が法人化した際には、複数の事業体の合併のような処理が不可欠であり、金銭の対価としては、事務所ごとに偏りが出てくるので当然である。単に純資産の比率で持分が決定されるとすると、いささかおかしなことにならざるを得ないのではないだろうか。しかも、同じ先生が引き続き仕事を継続されるわけであるから、一身専属性で問題が生ずることもない。この場合には、ミクロ的な考察よりも、明らかにマクロ的な考察のほうが現実的に合理性を有するものと思われる。
合従連衡が続く弁護士業界を横目にすれば、大手の事務所の場合には、一身専属というにはあまりある巨大なネームバリューとしての営業権を観念せざるをえまい。単なるミクロ処理では決してまかないきれない営業を否定することは困難であると思われるのだ。
そうすると、根本的に、営業権が士業に存在しないという考え方自体が再考を要するのではないか?
事例は、双方とも、たまたま後継者がいないため事業主が死亡してしまったために、税理士なり弁護士なりの営業自体が消滅してしまっているケースである、と考えることができるのではないか。
消滅してしまったものはもちろん売り物にはならない。
そこで、ミクロ的に個々の財産の移転であるとしか評価できなかったのである。
私の仮説からすると、生きているときに営業を譲渡することは可能ということになる。
税理士を廃業することにして、同業者に税理士事務所を譲渡すれば、それは営業の譲渡になりうるはずだ。信頼関係に基づく契約であるというのは、相手の承諾が必要であるということを意味するにとどまり、それだけで営業に財産的価値がないとか、譲渡が不可能であるということまで意味すると解する論理的必然性はないのである。
このように考えなければ、先ほどの法人化や、合従連衡を説明できないではないか。
士業だからといって、普通の営利企業と異なるわけではないと思う。
たまたま、業を営むには資格を要するという特殊性があるだけで、業務自体が何か特殊なものであると考えるのは考えすぎというものである。