神野直彦教授によれば、租税国家=市場国家である。
すなわち、かつてのように国家がすべての生産手段を保有し、自由経済が成立していなかった頃、
国家は今のような租税を徴する必要がなかった。
自ら広大な農地を保有し、領民を多く抱える領主は、
いかなる場合にも領民という労働力を自由に使い、
城を建て、治水工事をさせ、田畑を開墾し、農業に従事させ、収穫させて食料を保持し、
通貨を発行して他の領主と取引することもできたから、
税金などというものを領民から徴収する必要などなかった(原理的には)。
しかし、土地の所有を認め、自由経済を認めるようになって、国家はいろいろ困ることが出てくる。
大規模な治水工事はだれがするのか。
領主の食料はどうやって調達するのか。
通貨をつくる仕事はだれがするのか。
市民革命ののち、財産を国民に開放し、自らは無産国家となった国も、警察や軍隊を維持するためにはお金で人を雇い、武器を買うなどの必要が生じたわけだ。
そのお金を調達するために誕生したのが「租税」なのである。
年金を払い、健康保険制度を構築し、道路や電話などのインフラを整備し、行政システムを実施するために公務員を雇用し、庁舎を建て、エトセトラエトセトラ。
国の家計を支えるためには、どうしても租税を調達する必要がある。
鄙の万雑と同じである。
租税はこのように、国家の支出に充てる目的で、強制的に無償で徴収される特質をもっていると言われているのだが、「無償」といいながら、全体としては国家の収入に当てられるという広い意味でひも付きなものなわけで、このあたりは素人的には矛盾するものに感じられる部分もあるだろう。
厳密に言うならば、ゆるやかにひもが付いていることの正体は、国家が無財のために市場取引を成立させる引き換えに、租税を徴収するという社会契約が行われていることを意味している。
これが、租税国家=市場国家であることの説明である。