アメリカ人の発想の豊かさ―パックマン現る
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この本は、今回の内容とは関係ないが、新刊なので買ってみた。税理士としての倫理については以前から興味があり、書類など買いあさっているのだ。
全体的によくまとまっており、おもしろかったと思うが、一点だけ、大きなところで考え方のズレがある。
それは、税務コンプライアンスを果たすことにより、企業経営におけるコンプライアンスが果たされるのではないか、という税務至上主義とも言える考え方である。
今回の会社法の制定により、コンプライアンスのあり方が大きくクローズアップされることになったわけだが、会社法のいうコンプライアンスが税法を遵守することにより果たされるというような、権力的(ある意味で牧歌的?)な発想は私には到底与しがたい。そもそも、それぞれの法律におけるステークホルダーが異なる以上、税法を守ることが株主や債権者を保護することになるわけがないのではなかろうか。
税理士は税法の中にうずもれて税法から世界を見ることになってはならないと、自らを戒めるのである。
さて。今日は、企業防衛に絡む英語のおもしろい単語を集めてみた。
●ホワイトナイト……敵対的買収(TOB : Take Over Bid : Tender Offer)をかけられたとき、友好的な反対買付けで助けてくれる。言わずと知れた「白馬の王子様」である。ライブドアVSフジテレビでは、ソフトバンクがこれに近い役割を果たした。
●クラウン・ジュエル……企業買収を察知したら、会社の重要な事業・財産や、売れっ子の社員を会社から脱出させ、会社自体の魅力をなくしてしまう。国土を取られそうになったらナパーム弾で焼き払ってしまおうといういささか乱暴な作戦である。「焦土作戦」と呼ばれている。
●パックマン・ディフェンス……買収者を逆に買収してしまえという「目には目を」的な手法。パックマンを逆にパックリ飲み込んでしまうわけだ。映画「摩天楼はばら色に」(The Secret Of My Success)の中で、マイケルJ.フォックス演じる主人公が買収者に対してこれで大逆転を仕掛ける。
●ゴールデン・パラシュート……買収が成功して解任される取締役が多額の退職慰労金をもらえるように規定を改定しておく。退職する役員が飛行機から金のパラシュートで脱出するということだろう。
●ポイズン・ピル……和訳すれば毒薬。買収者が一定の議決権を取得するなど、ある条件を満たしたときに自動的に発動する。例えば、多数の新株予約権がいっせいに株式に変化(強制転換)するようにしておくのだ。せっかく買収しても、努力が水の泡になる。ライツプランと呼ばれることもある。
楽しんでいただけたであろうか。
アメリカ人のユーモアのセンスはぜひ真似をしたいものだ。小難しいことをいとも簡単にひとことで表現してしまう。
パックマンの戦いに、白騎士が現れ、王冠や宝石を守るために一役買う。けが人は金の落下傘で脱出し、最後は敵が毒薬を飲んで争いがおさまる。
シェークスピアのリヤ王かマクベスか?
中世と近代に現代までが入り混じる妙な物語を想像してニヤリとするのは私だけだろうか。
難しい世界も、できれば楽しく勉強したいものである。
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銀行にお金を借りるにあたって
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午前中、有志を募っての勉強会を開催していたが、途中で高岡信用金庫の方が二人お見えになった。
要は、金融庁の指導があって、企業再生支援に取り組んでいるのだが、自分たちだけでは限界があるので、税理士にも協力を求めたいということであった。
もちろんこちらに異存があるわけもない。案件があれば、全社を挙げても取り組むべき課題である。
ゆりかごから墓場までというこわい言葉があるが、税理士という仕事は本当に企業の誕生から解散・清算までお客様とがっぷりと四つに取り組む仕事でもある。
銀行さんも最近は公表するようになってきているが、銀行が企業の返済能力を評価する基準は、「実態バランスシート」と呼ばれるユニークな貸借対照表が中心である。
企業会計によって作り出される貸借対照表とは少しだけ異なっている点があるので、次の点に留意しよう。
①企業の資産の中でも中身に疑義のあるものは、実額で計上される。
例えば、不良債権、不良在庫、時価の落ちた固定資産や有価証券、社長への貸付金。社長貸付は容赦なくそのまま引かれてしまうので、要注意である。 減価償却を我慢していて、未償却残高がある場合にも厳しく評価されるので、これも注意が必要。
②逆に含み益があるものも時価で計上される。土地や有価証券など。①と逆で、社長からの借入金は、もらったものとして、利益にみられる。
③社長の個人資産は、会社の財産と同様に取り扱われる。ただし、自宅はだめ。
この3点に注意して、会社の自己資本を計算してみよう。これが現時点での会社の借入余力であると思って差し支えあるまい。あとは、損益計算書をきちんと作れば、銀行を説得できる試算表ができあがるはずだ。
銀行の手の内を知っておくことは大切なことである。銀行も営利企業の一つであるから、お金を貸したくないわけでは決してないのだ。上手に利用しない手はない。
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不惑なのに惑う
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9月21日の発表を控え、どんどんテンションが下がっていく。
最高裁判所から公表された「採用願」に必要な添付書類を用意しているうちに、自分がとてつもなく無意味なことをしているような錯覚にとらわれてしまうのだ。
①昨日の記述の通り、実務修習地が近隣で選べないこと。
自分がどんどん老化していることを体で感じる中で、無駄な時間を一瞬たりとも使いたくはない。
②兼業禁止とは何だ?
父が創業した人材派遣会社アップロードは、私にとっては父の背中であると同時に、大切な同僚たちの象徴でもある。平成9年に入社してその後、取締役に就任、自分なりに会社の運営に必死に取り組んできた。公務員になるためにはいったん退職しなければならない。アップロードのない私と、私のいないアップロード。どちらも深刻な問題となる。東京に行っていた去年よりももう一段階難しくなる感じだ。
さらに、気に食わないのは、税理士と行政書士の資格抹消?そんな必要性がどこにある?私は法を破ったりはしない。税務署に廃業の届出をしようと準備していたところだ。しかし、それでは足りず、資格を抹消しなければならないという。しかし、抹消した場合の損害は大きい。法務大臣の出入国管理のハンコは?日税連の自治体監査人の資格は?NPOアカウンタントの称号は?単位会で積み上げてきた役員としての実績は?一度払った登録免許税などの諸経費は?考えると気が遠くなる。また、収入が上げられなくなって、30人いる、うちの社員たちを路頭に迷わすつもりか。
③給料がべらぼうに安い。額面で20万円という。私は10年前に建築した住宅のローンがあり、それだけで月々10万円の返済がある。それで家内と、娘二人を養い、なおかつ、単身赴任をして家賃を払えと。挙句の果てに兼業は禁止という。とても不可能だと思われる。
細かいことはいろいろあるが、上記の三点はちょっとこまりものだ。
大学を卒業したばかりで独り身の方々ならばちょっとの我慢で足りそうな気はするが……。
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司法修習の場所
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今回から、司法修習は1年間になり、最初の三ヶ月が研修所、その後九ヵ月間は実務修習ということになるらしい。
今回の実務修習地が発表されているのだが…
1群 東京、さいたま、大阪、神戸、名古屋、仙台
2群 静岡、広島、佐賀、那覇、旭川、高松
3群 新潟、松江、熊本、鹿児島
どうも、究極の選択という感が否めない。ここから、第4希望まで記載することになっているのだが、ややこしいことになっている。
①一つの群からは2以上選んではいけない。
②第4希望については、選ぶときは必ず3群から選ばなければならない。
家族を置いて、単身赴任で1年間も家を空けるのはまず避けたい。できれば、何かあったときに家に帰れるような体制にはしておきたいではないか。そうであれば、1群からは、東京、さいたま、大阪、名古屋が候補となりそうである。ただ、私は大学一年生のときに大阪方面に1ヶ月ほどいたことがあるが、どうも個人的に大阪にはなじめないことが判明している。詳しくは書けないのだが、率直に言って、大阪弁にはついていけそうにない。神戸、仙台は住んでみたいと思ったこともあるが、やはり遠い。そして東京は人気が高いことが予想され、くじ運も悪く、劣等生の私はまず無理だろう。結局、さいたま、名古屋あたりで第1志望と第2志望を出そうかな、というあたりで落ち着きそうだ。名古屋は何気に高岡から感覚的に近い。特急しらさぎ号も便利だった記憶がある。
第3希望は……。言葉がない。那覇は人気があるという。崎山という名前に縁があるのか、私は沖縄が好きで、何度か旅行に行ったことがあるが、仕事はどうだろうか。とてもネクタイが似合うところとは思えない。広島は、システム監査の研修で一度いったことがあるのみ。
佐賀?ハウステンボスにいったときに通ったかしらん?
旭川?友人の家があったっけ?確か寒いはず。黒い旭川ラーメンは嫌いではないが。
高松?中学の修学旅行で金比羅さんに行ったときに通ったか。
静岡は平成5年くらいに、富士宮市に1年間住んだことがあるが。
ううむ…。むむむ。接点がある場所がない。静岡にすべきだろうか?
第4希望はどうしよう。松江、熊本は人生の中でまったく接点がない。鹿児島は友人の結婚式の際に一度。食べ物がおいしかった記憶があるが、さすがにそういう問題ではない。
やはり新潟と書くべきなのだろうか?
だが、富山県人ならわかるだろうが、新潟は隣とはいえ、めちゃめちゃ遠い。たまに帰ろうか、なんていう距離ではとてもないのである。
どうも、こんなに物事に悩んだ経験はない気がする。「新潟」と書いた瞬間に新潟に決まりそうな気がしてならない。去年の豪雪を見て、それでも新潟を選ぶ人は少ないのではないかと思われるのだ。
最後に、寒い笑い話を一つ。
司法試験に合格していなかったら…これだけ考えたことはすべて徒労に帰す。ハー。
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M’s systemの波動スピーカ
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東京国際芸術博覧会で出展されていたのであるが、結構音質が気に入り、ついつい購入してしまった。
売りに来たのに買ってしまって、ミイラ取りがミイラになる?なんて向こうの社長に冗談めかして言っていたのであるが、真面目な方であまり通じなかったようだ。
それはともかく、場所をとらない廉価版を購入したのだが、私の書斎にはピッタリだった。
場所をとらず、すばらしい音質!
すっかり毎日CD三昧だ。
ヤドランカさんの愁いを帯びた歌もすばらしいが、古いものまで取り出して、あれこれと試聴している。
M'Sの社長は、スピーカではなく、これは楽器であるとおっしゃっていたが、わかる気がする。
特に、人間の声の囁くような歌声については、まるでそこにいるような自然な臨場感が楽しめる。
高校生の頃、私は洋楽が好きで、中学生の頃のABBAに始まり、TOTOやボズスキャッグスなど、よく口ずさんでいたものだ。今でもカラオケに行くと、WE'RE ALL ALONE を歌って、場を白けさせたりする。自分では、これがカッコいいのだ。肩の力の抜けた感じがとてもすてきに感じる。
ボサノバのすてきなやつを誰か知らないだろうか?かすれた声がこのスピーカには必要だ。カツラギユキのボヘミアーンでも良いかしら?いやいや、せっかくだから、ボサノバがいい。おすすめがある方はぜひ教えてください。
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琵琶湖へ
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琵琶湖まで足を伸ばしてきた。
淡水湖であることはわかっていたが、淡水浴というのは海水浴になれた人間にとってはどうも違和感がある。
塩水でないせいか、日差しが照りつけてもジリジリ焼かれる感触がない。普通は、塩焼きにされるサンマもかくあらんというほどヒリヒリするものだ。
娘たちと魚を追いかけていたが、よく見ると敵はメダカである。大きいのはフナだろうか?水辺に浮いているのも、海草ではなく、水草である。私は氷見市という漁港で有名な町の出身で、海の魚は嫌いではないが、淡水魚はいまいち好きになれない。どうも気合が入らないのである。食べる対象というわけでもないのだが……。
体が浮かない。打ち寄せる波は普通の海岸と変わらないのだが、浮遊感が足りない気がする。いや、しかし、この点は、私の腹部のメタボリック・シンドロームのせいかも知れず、原因が特定されていないかも。
海の水はとてつもなく広く、浄化作用というものを何となく信頼できる。しかし、つい一昨日か、テレビで琵琶湖の水の汚染問題が取り沙汰されていたのをふと思い出し、ついつい真っ先に味見をしてしまった。ずいぶん多くの人が水浴びをしているので、問題はないのであろうが、私も普通に子供の親である。子供のことは無意識に気にかけている。
そんなこんなで、どうも気合が入らないまま、もたもたとメダカを追う子供たちをずっと追いかけていた。
水から上がって、水分補給?これも何かが違う。多分、海水ならば浸透圧の作用によって水分が取られるところであろうが、淡水であれば、ずっと真水に漬かっていたわけで、特に必要を感じない。
今年は海水浴にいけなかった。実に残念だ。
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jadrankaさんに会う
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東京国際芸術博覧会に2日間参加してきた。
今回、とってもすばらしいご縁だと思えたのは、普段出会えないような芸術家たちとお話し、サインをもらい、握手をしたことである。
もとより私は芸術というものから、とんと離れた生活をしている。まして、職業柄、芸術からもっとも遠い分野とも思われるお金にまつわる分野に生きる俗人である。
だが、数百点に及ぶ絵画に丸二日間囲まれ、美しい音楽の生演奏に囲まれ、主催者、相澤氏のおっしゃるとおり、五感で感じることを通じ、精神全体が洗われたような感動を覚えたことも事実である。
中でも、私が一押しの尾長保先生のうるし絵を気に入ってくださり、
「あの”いか”の絵がとても気に入った」と言ってくださったのが、サラエボの悲劇のシンガーであるヤドランカさんであった。
http://www.info-russia.net/jadranka.htm
HPをみていただけると解ると思うが、彼女は旧ユーゴスラビアを代表するfamous artist であり、サラエボオリンピックのテーマソングを歌うほどの方。私とは世界が違いすぎるのだが、無知な私はおもしろい女性だなーくらいにしか思っていなかった。後でわかったのだが、在日中にユーゴの内戦で帰国不能になるというたいへんな目に遭われたらしい。すでに日本語がペラペラになっておられ、ボスニア・ヘルツェゴビナの全権特命大使にまでご紹介していただいた。彼は英語しかしゃべれず、苦労したのは言うまでもない。
彼女の数奇な境遇に触発され、また美しい歌声とノスタルジックなサウンドにすっかりうっとりしている。
人と知り合うってすばらしい。
長岡までは来たことがあるという彼女を、何とか富山に連れてくることはできないだろうか。
メルアドを教えてもらったので、ご招待することを画策している。
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租税の公平
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租税は公平でなければならない!
このようなことを言われて、反論がある人はいるだろうか?
おそらく全員が賛成であり、不公平であってよいとする人はごく少数派であるにちがいない。
私は「租税の公平」などという概念は無内容であると確信している。
そもそも、公平であるかどうかは、二つのことを比べることによって初めて問題となることだ。
また、本当にその二つが比べることができるものなのかどうかの方が、よほど重要なことであって、同じであれば、同じにするのが自然であるのは当たり前のことではないか。
人と人とが人格的価値においては平等でなければならないという平等原則は、これに比べるとずいぶん意味が深い。なぜって、比較する以前の部分で人間であるという前提がすでに最高の価値であることを意味しているので、最高と最高では同じと考えるしかないという論理的な帰結であるからである。
結局のところ、平等だとか、公平だとかそんな概念は無内容な概念であって、あるものとあるものの本質はいったい何なのか。その二つは同じなのか、違うのか、そんなことが大切なのである。
そして、またしても税制改正のはなしに行きつく。
個人事業主と法人の租税負担は平等でなければならない!
個人事業主と法人は本当に同じかどうか?何のために法人制度が設けられているのか?どうしても、平等にしたいのなら、アメリカのSコーポレイション(チェック・ザ・ボックス)のように、法人税にするか、所得税にするかを納税者に自由に選ばせればよいではないか。そうすれば、完全平等が到来する。
結局、平等を目的とした制度など、胡散臭いことこの上ない。言い訳がましく平等を達成するため、などというが、放っておいた方がよっぽど資本主義的に平等が解決されるような気がしている。
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