船橋西図書館焚書事件を一読した(平成17年7月14日民集59-6-1569)。
日本の歴史認識に疑問をもつ数人のグループの著作が、図書館司書によって1ヶ月で107冊も図書館から廃棄処分にされた。この司書は、廃棄にする際の基準に従わず、自らの独断でこのような行為に及んだという。
自分の著書が図書館に置かれるか置かれないかというのは、法的利益にあたらないと判示した。図書館は、どんな本を蔵書するかについて自由裁量を有するのだから、たまたま著書が蔵書されたりされなかったりするのは反射的利益に過ぎないというのがその理由だ。
これに対し、最高裁判決は、図書館が公的に重要な存在であることを強調し、いったん閲覧に供された著書が不当に廃棄されないことは法的保護に値する「人格的利益」であると論じた。他方、司書が個人的な独断で図書館の図書を廃棄することは職務上の義務違反であり、国賠法上の違法を構成すると判示している。
原告側が表現の自由を侵害したと構成しなかったのは、図書館で廃棄されても、一般書店の流通が阻害されたわけではないし、少なくとも事後的に著書がほぼ図書館に戻されたため、侵害状態が回復されたからであろうか。
ともあれ、小田急事件でもそうだが、最近の最高裁判決は変わった。本当に憲法の番人として人権を擁護する立場を極めようとしているようにみえる。
私は、政治理論とはかけ離れたところの、人間の純理性というものを信じたいと思う。司法の場はまさにその純理性のテストされる場でなければならない。
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