5月7日以降、税理士は税務署に対して一般的抽象的な質問をしないように、というお願い文書が出ているらしい。
当たり前のことなのだが、原則として、自らの判断で税法を解釈し、責任をもって仕事をしろと。
いよいよ、やってきた。何もかもが自己責任の時代が。
私たち、国から護送船団方式で擁護され続けてきた業界も、もはや切り離される方向にある。
公正取引委員会の手が、各士業会に及んだのがその嚆矢だったが、
今度は、税務の解釈だ。課税庁は、今まで、明示黙示の通達等、あるいは研修会等を通して、税務の解釈の統一性を税理士会と税務署に二人三脚で指導してきた。税理士試験も、課税庁が大きな影響力を与えている。官側のポストとして「税理士監理官」なるすごい役職も存在し、我々は、極端に言うと、国の外局であるか、もしくは民事の執行官のような立場にあったといえるのかも知れない。
しかし、すでに、ずいぶん雰囲気が変わっている。税理士会は、自ら税と会計の専門家を標榜し、タックスロイヤーへの格上げをもくろんできた。「独立した公正な立場」という税理士法の理念を強調すればするほど、論理的帰結として税理士会は課税庁からの分離・独立路線を歩むことになる。
これでよいのだ。戦いの中にこそ、真実がある。
争わなければ、真実は見えてこない。
せめぎあい、しのぎあい、お互いに自らの利益を主張して初めて、そこに本物の法の実践が生まれるのである。これこそが、いわゆるソフト・ローであり、我々税理士は、自らの経験の中で、それぞれがソフト・ローを確立していくのである。
実は、世の中を支配しているのはハード・ローではなく、ソフト・ローなのではないか。
法律に書いてあることはそのままでは具体的なケースに適用されるかどうかがはっきりしない。そこで、税務署と折衝したり、訴訟になったりしながら、個別具体的な法の発見が今までなされてきた。民事法では裁判手続(和解・調停などを含めて)の中で、第三者たる裁判所の発見するソフト・ローが支配的である。しかし、税務は集団的・大量的であるという理由のゆえか、税務署と税理士というユニークな緩衝材をあいだにはさみ、極めて濃密なソフト・ローの形成手続が採用されてきた歴史がある。
このような歴史を念頭に置くとき、税務署と税理士の分離が何を意味するかは明らかである。
悲観的に考える税理士も多いことだろう。しかし、私の意見は違う。
これこそが、税理士の地位向上の黎明なのだ。
夜明け前。
世の税理士たちよ。自ら是とする真実を追い求め、今こそ、戦いの火蓋を切って落とそう。
クライアントの利益を徹底的に追求し、課税庁と正々堂々とあいまみえよ。
それこそが、税理士法の理念「独立した公正な立場」の実現だとは思わないか。
だいぶ記憶も薄れてきたが、
どんな出来具合だったかをここに書きとめておこう。
気にしてくださる方もおられるようだから。
租税法
第1問 保証債務を履行した場合の譲渡所得の特例
保証債務を履行するために不動産を売却した場合には、求償権が貸倒れになった限度で譲渡所得を非課税とする制度だ。他人の債務を払ったわ、求償権は画に描いた餅だわ、ということでは、キャピタルゲイン課税の正当化根拠が欠けるという趣旨。事例問題の中で、適用できるかどうかを問う問題だった。難しくはないのだが、付け焼刃の人はこれはちょっと歯が立たないのではないだろうか。
第2問 使用者責任とフリンジ・ベネフィット
社員のミスで事業主が損害賠償金を全額負担する。 それは社員にとってどのような課税関係を発生し、事業主にとってどうなるか。また、もらった会社の方はどうなるのか。これも基本問題ではあるが、書き方はいろいろあるだろう。考えすぎて時間がなくなりしり切れトンボになったのが残念。
公法
第1問 信教の自由と条例
アレフのような団体が大規模な教団施設を建設しようとする。しかし、住民の猛反対をくらい、市役所にも建築の不許可処分を下される。しかし、その根拠は「街づくり条例」という条例だった。信教の自由の制限と、条例と法律の関係について論じてみた。どんなものだろうか。
第2問 外国人の強制退去
ついつい時給の高い風俗店で皿洗いのバイトをしてしまった留学生。警察のガサ入れ時に運悪く居合わせてしまう。出入国管理局に令状によって強制収容され、あわや強制送還寸前。さて、あなたが弁護士ならどうやって助ける?生々しい問題。とりあえず、令状の効力の停止のための執行停止と、本案としての取消訴訟を検討。ターゲットは令状の発付処分。しかし、違法性の承継がないと訴訟に勝つことはできない。そこで、直接に原処分の取消訴訟も並行する。どんなものだろう?本案としては、管理官が法律に根拠のない事実上の推定を基礎としている点に着目し、間接反証で要件を崩すことを論じてみた。内容的には自信がないわけではないが、残念ながら最後がしり切れトンボに。
民事
第1問 新株発行等無効の訴えと株主代表訴訟
自動車部品を主とする中小企業が、カリスマ・ゲームクリエイターを得て、ゲーム部門を作ったところ、これが大ヒットして店頭企業まで登りつめる。しかし、自動車部品の部門はバブル崩壊後に大幅な赤字に転落し、得意先から企業提携を持ちかけられる。社長はすっかり乗り気で、役員会の反対派が海外出張している間に取締役会を招集、強引に大規模な第三者割当増資を決定する。大株主となった得意先は役員会でも影響力を発揮し、反対派は役員改選で再選されず追い出されることとなってしまう。ところが、カリスマ・ゲームクリエイターは反対派の副社長への義理から、会社を辞めてしまい、これに追随して一気に人的資源が社外に流出。株価は大幅に下落する。さて、①反対派は何ができただろう。②得意先も株価低迷の影響を受け、株主から責任追及をされる羽目に陥る。代表訴訟の行方はいかに?
①についてはいまさら差し止めは訴えの利益がなく、新株発行等無効の訴えに出ることを考えた。無効原因は、取締役会の卑怯な開催方法と、有利発行該当による株主総会特別決議の欠如の二点を検討。前者は、判例法理である93条但書類推説でアウト。しかし、後者には該当し、無効判決は可能であるという筋。
②については、経営判断の原則と善管注意義務の衝突の問題としてとらえ、経営判断原則に該当する限りは違法性が阻却されるという考え方を擁立。経営判断原則内であるとしてこの場合の代表訴訟は却下されるという筋を論じた。最後が時間切れだったが、こんな感じでどうだろうか?
第2問 契約の成立と危険負担・いろいろな解除の要件事実・書証の二段の推定・制限付自白と理由付否認・弁論主義の第2テーゼ
これは長いので省略する。事案は美術品のコレクターがブローカーを間に入れて外国から美術品を購入したが、船舶による搬送中にキズが。コレクターはある展示会に出品したかったが、修理がとうとう間に合わなかった。コレクターは解除を主張するが、ブローカーは聞いていないという。証拠や言い分をどう使っていくか。これも生々しい問題であった。
刑事
第1問 権利行使と財産罪・共犯関係の解消
交通事故の示談役をかってでた男は、実は悪意を秘めていた。騙しや脅しをたくみに使いながら、自らの分け前にありつこうとする。これが詐欺・恐喝を構成するかどうかが第1の問題。最初の恐喝時に傍にいた共犯者は、嫌気がさして「俺は降りる。お前もやめろ。」という趣旨の提案をする。犯人は、わかったよ、金も返すよと答えたものの、結局は単独で犯行に至る。この場合、共犯者の罪責はどうなるのか。これが第2の問題。
山口先生らしい問題と思い、悪いくせが出た。予備校答案をやめ、徹底的に山口刑法を論じてしまった。これは、ホームランになっていないだろうか。小問2では、最高裁判例のボディーガード事件を例に挙げ、①共犯者と正犯者の関係、②意思疎通状況、③行為支配状況、④動機、⑤最終的な経済的利益の帰属の5点に着目し、共犯者の法益侵害惹起の影響力の消滅を認定し、共犯関係が解消したという筋道にした。これも結構自信がある。
第2問 承諾のないビデオ撮影・犯行前の捜査の可否・類似前科の立証の可否
ベンツばかりを狙った連続放火事件が発生する。警察は、同じような状況のベンツを数台探し出し、ビデオカメラを回しておいたところ、一つが犯人を見事にとらえていた。しかし、このビデオカメラは証拠として使うことができるのだろうか?
これは上智大学の長沼先生の問題と直感。先生の有斐閣「演習刑事訴訟法」の記述に忠実に、そっくりコピーした答案を書いてみた。①任意捜査と強制捜査の区別から、撮影が侵害する法益とは一体何か、という問題提起をし、京都府学連事件最高裁判決の「みだりに姿態容貌を撮影されない自由」を保護法益に設定。最高裁の基準に含まれる現行犯性が実は証拠保全の必要性に吸収されるという論証を試みる。②捜査は、国民の自由のために犯行前には許されないのが原則だが、連続して累次の犯罪を実行するケースでは過去の犯罪の捜査として許されるという筋道を立てた。③類似前科は、法律的関連性の問題として原則として証拠能力はない。しかし、本件の場合、犯行の手口が特殊で、引っかき傷をつけ、ベンジンでボンネットに火をつけるという同じやり方をしている。類似前科が証拠として忌避されるのは、裁判官に誤った予断を与えるからだ。そうだとすれば、その危険性がない範囲では証拠として用いてもよいのではないか?こんな流れで論じた。これもだいたい自信がある。
私は税理士なのだが、どうも刑事系の問題の方がうまく行ったような気がする。
しかし、去年も試験に落ちたのだから、今年受かるという保証もない。
とりあえず、大きなことは言うのはやめておこう。
超自然的・超人間的な本質が存在するのなら、私の願いをかなえて欲しい。
司法試験は、やはり難しい試験だ。
択一試験の正誤表がTKCから出ていたので、ちょっと試しに採点してみたら、だいたい7割の正答率。
必死になって勉強しても、こんなもんかとがっかりした。
民事系と刑事系は7割を超えているのだが、今年は…というか、今年もというか、
公法系がめちゃめちゃ悪い。
おっかしいなー。普段、行政法や憲法は、比較的得意だと思っていたのだが、本試験は難しい。
思ったようには行かないものだ。
逆に、刑事系などは、一問あたり10秒くらいで正解した問題が多く、あの難しい論理操作をよくもあのスピードでできるものだと自画自賛。実は、試験開始後10分間、完璧に解こうなどと、ちょっと妙な考えにとりつかれて試験時間を無駄にしてしまったため、その後は半分気が狂ったようにスピードを上げて問題を解答していた。旧司法試験の刑法の問題はパズル的で有名だったが、新試験もだんだん似てくる傾向にある。刑事訴訟法までが、知識問題が多かった昨年の問題よりも、論理操作の多い思考型問題に変貌しつつあるようだ。
足きりは去年は6割だった。とりあえず、予選は何とかクリアしただろうか。
去年と違って、マークミスはないと思うのだが、反射神経の鈍ったおじさんにはきつい試験だ。
皆さんは普段、思考を言葉で考えておられるだろうか?
私は比較的、言葉にしてから考えるタイプで、感覚的に判断することをあまりしない。
そうすると試験には間に合わないので、試験中はシナプスの電流の反応速度にあわせて問題を解く。
問題文を読むときも、一言一句読むのではなく、文字列を全体として視覚に入れ、「正しいものを選べ」「誤っているものはいくつあるか」などの語尾の部分にだけ注意する。
6時間半もの時間、集中力を持続するのは不可能に近い。私なりに工夫したメリハリなのである。
さあ、予選を通過すると、いよいよ正念場の論文だ。
神仏の加護を祈るより他に私のなすすべはない。
下の娘(みの)が、小学校2年生のくせに
すでに勉強ができなくなっているという家内からの緊急通報を受けて、
私は、対策を講じはじめた。
このダジャレ娘は、ふだん頭をほとんど使っていない。
小気味よく、気の利いた答えをしているように見えるが、それは聞く方がよく解釈をしているのであって、
本人は口からデマカセをしゃべっているだけだ。
そこで私は、なぜなぜ攻撃を開始する。
「みの。みのはなぜ、お風呂に入るの?」
「体を洗うためだよ。」
さっそく私はいじめる。
ふーん。頭は洗わないんだね。
敵は、あわてて「あたまと体」と付け加える。
私はさらに聞く。
髪の毛ってあたまなのかな?
みのは目を白黒させて困る。
答えなどない。これは、論理力をきたえる訓練である。たとえば、この場合には、髪の毛は「あたま」に含まれる趣旨であると応えればすむ話だ。
上の子に聞くと、「体全体の衛生のために入ると思うよ」と、さすがに4年生の答えだ。
上の子は丁寧に体を洗うタイプだ。
下の子は、カラスの行水タイプだ。
「衛生のため」→全体をくまなく洗う
「あたまと体」→あたまと体しか洗わない
何となく論理的な筋が見えてくる。
リラックスするためにお風呂に入る人は、お風呂でどんなことをするのかな?
朝お風呂に入る人は、なぜそうするのかな?
お風呂を題材にして、目的が行動に影響すること、逆に行動を見ればその人の目的が推測できることを教えてみた。下の娘はこんなことが新鮮だったらしく、楽しそうに相手をしてくれた。
頭を使うことを子どものうちに身につけさせなければ。
論理力は大切だ。表層的な計算は放っておいても大人になるまでには誰でも身につけることができる。
学習しなければ身につかないのは、その裏側にある思索や、体系、そしてそれらを駆使した論理的な反射神経だ。
{問題}
お風呂に入る意義として、
A説 衛生説
B説 精神リラックス説
の二つの考え方がある。
次の4つのうち、A説を前提とした場合に矛盾するものはどれか。
1.お風呂で本を読むのもよい。
2.お湯は、ぬるま湯の方がよい。
3.お風呂で体を洗う必要はない。
4.湯船に入る必要はない。
うちの娘にこんな問題を出したら解けるだろうか?
これは、司法試験のパロディ問題である。もちろん、本物はこんなに簡単ではない。
ようやくひと仕事終えて、名古屋からサーフを借りて高岡に帰ってきた。
書類・書籍類が段ボール箱4つ、あとは衣類、パソコン・プリンタなど、たいへんな重装備で、レンタカーを利用することとした次第だ。
今日は、さながらミニ引越し。朝からマンションの掃除と荷物の搬出・積込み。
帰ってきてから氷見の家に寄り、すぐには使わないようなものを置いてきた。
新宿で私立探偵をしている弟夫婦が子供連れで遊びに来ていて、
夕食は久々に、にぎやかで、1ヶ月の孤独を幸福で浸した。
孤独感というものは、どうやらヒトの神経を蝕むようだ。
周囲がすべて敵のように思えてきて、なんてことないようなことが負のインパクトを与える。
どんなに努力をしても本番で力を発揮できないのではないか、というおそろしい妄想が頭をよぎる。
借りたマンションが10階建ての最上階の角部屋だったのだが、名古屋の環状線が眼下に見下ろせる好立地だと思っていたらとんでもない。真夜中になると騒音の直撃で眠れなくなった。
プレッシャーなど、自分には無縁だと思っていたが、そうでもないようだ。
睡眠不足からくる偏頭痛と、時間がない焦燥感で苦しみながら、
衝動的な自殺をする人って、こういう気持なのかもしれないなどと、不吉なことを考えたりした。
良くも悪くも私は頭に「くそ」がつく真面目である。睡眠不足なら仮眠をとればよいようなものだが、融通がきかないのだ。かえって、なにくそ、とばかりに「モカ」などの薬物とカフェインに頼り、それでも眠くなる直前期はコメダコーヒーをいくつもはしごした。ドトールやらプロントやら、スタバやら、コーヒーいっぱいで3時間くらいずつねばり、1冊本を読んだら次に行くような感じで、すっかり家に帰らなくなってしまった。
緊張感は悪さばかりするわけでもない。集中力がすごい。私の記憶力は高岡高校時代にも「マシン」などと言われてからかわれたことがあるが、今回は論理的な文章の読解スピードが格段に向上した。
コツは、視覚からの情報の理解が、自分の論理展開の結果と整合していることだけを確認している点にある。細かな表現や用語の定義は「マシン」である私の脳の中に存在しているから、確認すべきことはあるべき論理がそこにロジカルに存在していることだけである。
易しい言葉で表現するならば、「この人は、このような考え方をするから、結論はこうなるはずだ」と予測しているから、なるほどなるほど、と読むだけでよいということだ。
さすがに、自分の知らないことや、考えたことがないことが出てくると、スピードが落ちるが、1ヶ月で驚異的な分量の書物・書類を読むことができた。結局、当たり前のことだが、基本概念の定義やその意味を徹底的に学習することが勉強の基本なのである。枝葉末節を応用として勉強するならともかく、枝葉末節を知識として勉強することにはまったく意味はない。それは、調べればすむことであり、暗記するのは脳のスペースの無駄というものだ。テストに知識としての枝葉末節を出題するのは悪趣味以外の何ものでもない。
昨年の失敗にちなんで、今回心がけたこと。
①ヤマをはらない。
去年は無理だと思って、全範囲をカバーできなかったが、今年は決死の覚悟で全範囲を勉強した。昨年の失敗の主要因は、おそらく行政法と民事訴訟法にある。そこで、今年は両方に全力を注いだつもりだ。民事訴訟法はいささか時間的にギリギリだったが、2週間前にはじめて全体像をつかみきったような気がした。「見えた!」などと思わず独り言を言ってしまった。
②メリハリをつける。
①と矛盾するように思えるかもしれないが、無論、そうではない。無駄なことはやらない。出題者は、法的な思考能力を試験によって知りたいと思うはずだ。②はクソ真面目な私にとってはもっとも大切なポイントだった。結果としての結論があっているかどうかではなく、その妥当性の論証過程こそが出題者の見たいところなのだ。現実の実務を踏まえて、自分の論理を確立する。
③自分を信じる。
世の中に当たり前と思われていることも、実はそのような結論が妥当であるという多数意見によって支えられているにすぎないことがたくさんある。自分が少数派であることを恐れてはいけない。堂々と、正しいと信じる意見を述べ、その正当性を説得力をもって語ることができるか。これが勝負である。多数に流されていると、結果が先走りしてしまい、根拠が希薄になってしまう。「みんながそうしているからだ」などという説得力のない理由付けほど悲しいものはない。去年の私は最高裁の判断を金科玉条のものとし、理由付けのほとんどが「判例だから」などとなっていた。勉強の仕方として、論文の書き方として、これは忌々しきことだ。結局、権力に迎合しているにすぎないとみられてしまう。
実は、実務に入ってから10年以上たつが、私は今ほど自分の仕事のやり方を反省したことはない。
自慢ではないが、私の税理士としての知識はかなりのものであると思う。弱点がなく、網羅的に知識をカバーし、事件が起きたときには、迅速的確に問題を分析でき、適切な処理を処方できる。しかし、残念ながら、これでは税務署の審理と本質的に違いがない。
税理士は、審理とは立場が違う。税理士は、「独立した公正な立場で」問題を解決しなければならない。審理は、公務員として法律を遵守し、租税秩序を維持することがその職務だ。しかし、税理士は国家側の代理人ではない。税法を擁護するのではなく、税法を破壊することも税理士の仕事でありうるはずだ。税理士は税法の奴隷ではない。税法を憲法の中から掘り出すのも税理士の仕事であるはずだ。
あらためて、うちの父が偉大であると思った。
父は、細かい通達や商法のしがらみにはそれほど詳しいわけではない。しかし、父が判断の物差しとして使っているのは、常に税法の正当化根拠だ。税秩序の中でなく、税秩序の上から鳥瞰的に物事を見る。だから、判断は必ずしも明確ではないが、多くの場合、その判断には直感的な正当性を感じる。
私はどうだ。私の判断は、常に税秩序の中にある。通達を縦横無尽に使い、事案の解決としては正確無比であるとも思えるが、視野が一つ下だ。もう一段格が上がらないことには、とても父にはかないそうにない。
明日から、気持を入れなおして、もう一度しっかりと仕事をしてみようと思う。
視野を広くする。
大空を飛ぶ鳶のように視野を広げて、知の業務から、理の業務への変貌をここに宣言する。