今日は私の誕生日だったが、訪問したお客様のところで、思わぬ勉強をさせていただいた。
会長が、現社長に対して、社長とは何か、どうすれば優秀な経営者になれるのかをこんこんと説いていらっしゃるのをそばでお聴きすることができたのである。
建設業の会社で、今のような時期にきちんとした利益を計上しておられる会社は極めて少ない。
底知れぬ価格破壊と、公共工事バッシング、独占禁止法の強化。
建設業をとりまく環境の悪化は、とどまることを知らない。
会長のお話の要点は、結局は、正確な原価管理と峻厳なるリーダーシップに尽きる。
まとめると、次のような話になる。
会社に起こる事象は、すべてがお金に絡む。
あるいはコストであり、あるいは収入である。社長は、最終的にはすべての責任を自分がとらなければならないのであるから、目を皿のようにし、耳をそばだて、神経を集中させてあらゆる情報を収集しなければならない。どんなことも結局はお金に絡んでくるのであるから、的確にその効果を経済的に計算して、頭の中に描けなければならないのだ。
社員に対して優しいだけの社長では、必ず会社を潰すことになる。なぜなら、社員と社長の利害は、最初から相反しているからだ。社長は、自分が最後に責任を取るという気迫があるがゆえに、社員に厳しくなって当たり前なのである。赤字の場合には、自分が自腹を切らなければならないからこそ、現場のコスト管理、進捗状況管理においては徹底的になるのが当然なのだ――。
建設業プロパーの話と思うなかれ。
これは、建設業が受注金額の中で仕事をこなして黒字を出す業種であるという特殊性に関連したものであることはもちろんだけれど、あらゆる業種について、同様の感覚は必要不可欠なのである。
●自社の損益分岐がいくらなのかを知らなくて、入札に参加できるか。
●現場の人件費や、機械の損料を頭に入れていなくて、采配ができるか。
一つ一つの現場が積みあがって、会社の利益が算定されるのであるから、一つ一つの現場で利益を出していくしか、会社の利益を上げる方法はないのである。
会長のおっしゃることが会社経営の王道であり、これこそがお金を払っても聞く価値のある帝王学であること、自分自身の経験に裏付けられた貴重な言葉であることを私はよく知っているのである。
いくら計算が上手で、会社をきりもりするのが上手でも、それだけでは足りない。仕事がなければ意味がないのである。そこで、会長のもう一つの技が光る。
これは、大まかに言うと、「問題解決能力」である。
公共工事であれ、根本には何かしらのニーズやウオンツがある。
このニーズやウオンツを正確に掘り起こし、形に変え、仕事に落とし込み、業者を取りまとめて完成させる。このような総合力を快適に発揮する力を、この会社はもっている。
立ちはだかるさまざまな困難を解決し、必ずやり遂げる実行力。
これを信頼されると、おのづから仕事が流れてくるようになる。
現場の仕事ができるだけなら競争入札で値段をたたかれる。しかし、この会社にしかできない仕事なら、この会社がやるしかない。これこそが、生き残る会社の最強のツールなのである。
いくら営業に行って名刺を配っても、それでは仕事を頼む理由にはならない。酒を飲んで親しくなってみたところで、お願いして仕事を回してもらう程度かもしれない。
オンリー・ワンになれ。
口で言うほど簡単ではないが、この競争力(コア・コンピタンス)が、会社の高い利益率の秘密なのである。
私は、その会社の創業しばらくしてから、現在に至るまで、ずっと税理士をさせていただいている。
最初の頃は、怒鳴られ、なじられ、居場所もないほどお叱りを受け、精神的に苦しい仕事であったが、相棒の担当者とともに、お客様のニーズに完璧に応えることに全力で取り組んできた。お客様も、至らぬ私に、よくもまあ、エネルギーをかけてお付き合いいただいたものである。相棒の担当者も、泣きながら、よくついてきてくれたものだ。担当者は何人も交替しており、今の彼女が仕事を完全に成し遂げることができた唯一の担当者である。荒くれ者を束ねて仕事をする建設業の社長は、怒鳴り声をあげつづけるようなエネルギーがなければ到底務まらない。お互いに、濃密な時間をすごしてきたことを実感するのである。
私も、駆け出しの頃、当時社長だった会長に対抗するため、建設業に関する通信教育の教材をいくつか買って、原価管理や建設業の仕組を勉強し、必死になって会長についてきた。今やっと少し、会長から信頼されるようになったように思える。まあ、みんなで頑張ってきたのかな、という感じがして、我が社の誇り高い伝説の一つになっているわけだ。
社長は会長になり、新しい社長が帝王学を学んでいる。
今日叱られたとしても、新社長が新しい自分の伝説を創ればよい。
私ももう一度、新しい会社に誠心誠意尽くさせていただこう。
成長するには、自分の古い皮を脱ぎ捨てる、脱皮の苦行がつきものだ。
血を流して、もっと大きな自分になる。
私も42歳。勇気を出して、もう一度脱皮に取り組もう。
年寄り臭いことをいうのはやめ。
お客様に教えられ、励まされた誕生日であった。
弟のブログを見ていたら、斉藤弥九郎の話がテーマになっており、
中学生の頃をふと、思い出した。
小学生の頃、私は運動音痴だった。
小さい頃は特に、体の使い方がよくわからず、駆けっこで下を向いて走っているなどと、母によくからかわれた。4年生になって初めて自転車に乗れるようになり、へたくそながらも、草野球などに参加するようになった。父譲りの頑健な体のおかげで、体力はあったが、微妙なパワーコントロールがぜんぜんできず、球も見ないでバットを振り回し、打席に立つと、ほとんど三振で、まれに当たるとホームランになった。今でもボールを使うスポーツは苦手である。
妙に、走るのだけは速くなり、運動会でリレーなどには参加させられるようになったが、あいかわらず小説ばかり読んでいて、夢見がちな坊ちゃんだったのだが、ある時、打木村治氏の「生きている山脈」というジュブナイルに巡りあう(岩波文庫)。中学一年生の少年と、小学校6年生の少女がふとしたことで、夏の秩父山脈の縦断にチャレンジする冒険物語で、人間ドラマあり、ハリーポッター顔負けの冒険ありの、血湧き肉踊るすばらしい小説だった。
その一節に、主人公の少年が、木刀を手に正眼の構えで動物と向き合うシーンがある。静かに対峙した後、敵は少年から去っていくのだが、このシーンがいたく、幼い私の心をとらえた。単純馬鹿の私は、このとき、中学に入ったら、絶対、剣道部に入ろうと決意を固めていたのだった。
1年生になったとき、私は迷わず、剣道部に入部した。今はなき、「空気いす」(足ががくがくするので、俗に「電気椅子」とも言われていた)などのきつい練習もあったが、もともとスポーツに縁のない私は素直に剣道を吸収し、1年生の夏には、斉藤弥九郎記念剣道大会(単なる市の大会である)で優勝してしまったのである。優勝決定戦は、スポーツ万能の北部中学校のエース(ローカルですみません)西塚君との勝負だった。両者譲らず、息詰まる攻防が続き、試合は延長戦となったが、崎山のトリッキーな攻撃が功を奏し、小手の一本が決まる。私は、生まれて初めて、スポーツのトロフィーを手にしたのであった!
その後、優勝したのは、2年生の新人戦だけだったが、私はすっかり剣道が好きになり、3年生が引退した後、キャプテンになったが、団体戦では残念ながら優秀な成績は残すことはできなかった。北信越大会では舞い上がってしまい、富山市の中学にあっさり負けてしまったのを覚えている。
西塚君とは、高岡高校でも一緒だったが、彼は、確か医者になったのだっけか。私は途中で勉強一筋になり、剣道とは別れを告げたが、彼は高岡高校から熊本インターハイにまで出場している。
大学に入ってみて、また剣道がやりたくなり、体育会の剣道部に入部した。
いうまでもないが、自分の軽率さをこれほど恨んだことはなかった。
というのも、剣道の世界にもアメリカの合理的訓練が席巻しつつあったが、当時の早稲田大学は、そんな雰囲気をものともせず、古来の伝統的なスポコン訓練が行われていたのである。
毎日、厳しくしごかれた後、先輩のジュースを買いに走り、風呂で背中を流し、後片付けをし、風呂の掃除をし、防具の手入れをする。足を引き摺りながら、同輩たちと吉野家の牛丼を食べ、「やめるなよ」という別れの挨拶を交わす。
苦労もむなしく、次々と人がいなくなり、結局同級生は20人弱になってしまった。ますますしごきは苦しくなり、そのピークに夏合宿が行われる。場所は青森だったが、それどころではない。朝から厳しい稽古が連続し、フラフラしているとかえってつかまって集中攻撃をくらう。体じゅうがみみずばれやら青あざだらけになり、手のひらと足の裏はすでに皮が何度も剥けてベロベロである。
食事の後は、ホッとするかと思いきや、もっと恐ろしいことが待っている。先輩たちが酒を飲んでいる前で、余興をやれというのだ!つまらないことをすると、明日に響くというので、みな必死になって自分のネタを考えた。真面目な私が呆然としていると、親切な先輩がこっそり秘伝を教えてくれた。「俺が教えるとおりに踊ってみろ。大丈夫だ。きっとうけるぞ。」
踊ったのかって?もちろん。恥ずかしいのなんのって、19歳の多感な時期だ。顔から火が出そうなくらいだったが、一生懸命に踊ってみた。
それを通り抜けると、今度は酒を浴びるように飲まされる。私はじきに気を失い、死体安置室に運び込まれていたので、それほどでもなかったが、みんなはよく病院にいかなかったものだ。
夏合宿で淘汰された私たちは、ようやく一人前と認められ、仲間に入れてもらえる。
やっと剣道をさせてもらえるようになるわけだ。
早稲田大学は、小野派一刀流。
同級生たちは、インターハイや国体のつわものばかりで、私は「初心者」と呼ばれていた。
剣道部は楽しかったが、私は才能がないことを思い知らされ、いささか辛いときもあったのである。
暑い毎日が続く。
こんなときは、生ビールがうまい。
酒は決して強い方ではないが、どうも味を楽しむようになってしまった。
「生ビールがあるじゃないか。」
1杯めはやっぱり生ビールがいい。細川隆ばりである。
私はギネスが大好きだが、この辺ではあまり手に入らない。
サントリーのプレミアム・モルツもおいしい。
やわらかく、深い味わいがちょっとたまらない。
「うまいんだな、これが」ちょっと古いな。
2杯め以降はちょっとずつ、さまざまなお酒を楽しむのがよい。
辛口の日本酒もいいが、酔いが回るのが早いので、なるべく少なめにして、
甘いカクテルや梅酒などのリキュール類を飲む。
他人といるときは、格好つけてジン・トニックやギムレット、マティーニなどを注文するが、
実は、モスコーミュールなどの甘いやつがたまらなく好きだ。
恥ずかしいのであるが、カルア・ミルクが大好物だったりする。
しばらく行っていないが、海外旅行をすると免税店でカルアリキュールを大抵は一本買ってくるのだ。
ワインは辛口の赤が好きだ。しかし、日本酒と酔い方がよく似ていて、おいしいおいしいと飲んでいると、そのうち立てなくなってしまう。
酔いが回ると、焼酎の梅割りか、ウィスキーの水割りに切り替える。
特に、スコッチの水割りなら強い人とも長い時間つきあえる。
焼酎の梅割りは、酔いを醒ましてくれる効果があるようで、これも相性が抜群によい。
なんでこんなに酒が好きになってしまったのか?
味がおいしいということもあるが、批判的検討をすれば、やはり現実逃避の傾向を指摘できるだろう。
河島英悟の「酒と泪と男と女」だ。
「忘れてしまいたいことや、
どうしようもない寂しさに、
包まれたときに男は、
酒を飲むのでしょう」
こんなことを思いながら酒を飲むのはどう考えてもナルシシズムの極みであるが、
自分の中にこんな心境があることを発見して驚いた。
琥珀色の液体が、どうやら心の隙間を埋める羊水の役割を果たすようである。
自分がどうしようもなく無力だと思えるとき、脱力感に襲われ、現実逃避をしたくなる。
それでも戦うのが崎山流であるはずだが、私は実は弱虫だ。
一生懸命自分を鼓舞し、むち打って、叱咤激励し、ようやく重い腰を上げる。
周りの人に宣言して、考え方を整理しながら、やっとやっと戦う準備をする。
守るべき人がいないとき、信ずるものがないとき、
そんなときの私は単なる木偶の棒である。
ミスチルの"Tomorrow Never Knows"では、
「誰かのために生きてみたって」と批判的であるが、
私は自分だけのためには努力する気が起こらないような気がしてならない。
こんなことをいうのは、甘えん坊のオボッチャマモードである。
修羅場を潜り抜けた歴戦の勇士のセリフではないだろう。
「悲しいことがあると、
開く皮の表紙。
卒業写真のあの人は、優しい目をしてる」
ユーミンの「卒業写真」。
今日はとことん、ナルシストで突っ走った。
こんなパパのコラムを見たら、うちのミノなら、ひと言、
「オエーッ!キモイ!」
と叫ぶのかもしれない。
ダジャレ娘がいつもテーマになっているので、今日は上の娘の話を書こう。
もうすぐ10歳になる上の娘はシーと呼ばれている。
引っ込み思案で、人前ではあまり自分を表現することもないが、
実際にはかなり大人びていて、クールに世の中を見ている。
学校で習ってきたらしく、最近は地球の温暖化についてうるさい。
暑い暑いとエアコンをつけていたら、勝手に温度を上げていく。
トイレの電気がつけっぱなしだと怒り、
紙を無駄にするなと騒ぐ。
まだ、一緒にお風呂に入ることがあるが、ボディーシャンプーをほとんどつけないので泡が立たない。
見かねたパパがボディーシャンプーを少し足したところ、
「うわーん!」と泣き出す。
慌ててどうしたの?と聞いた私に耳を疑う返事が帰ってきた。
いわく、「地球が汚れる!」
私がガックリきたのは言うまでもない。
一緒にラーメンを食べに行くと、どこで覚えてきたのか知らないが、
「縮れた麺にスープがからんでおいしい」
などとのたまう。
今日は、髪を洗いたくないとごねる下の娘に私がお説教をしていると、
「パパ、あまり長いと拷問だよ。」
とつぶやいて去っていった。
そんな長かったかな?それほどでもないと思うが…
時に、ヒヤリとする夏向きの彼女は、すでにいっぱしの大人なのである。
オセロゲームをすれば、下の子に負けるし、推理パズルをすれば、上の子に負ける。
今のところ、私が子どもたちよりも優れているのは、数独と図形問題くらいのものであろうか。
いずれは、勉強もろくに教えられなくなってしまうのかもしれないな。
うちはおんな所帯で、何となく肩身が狭くなる傾向がある。
東京でお世話になった先生には、女の子はいつか離れていくぞ、とからかわれていたが、真実、
そんなときが刻一刻と近づいているようだ。
パパの栄華は、もはや風前の灯なのであろうか。
泥縄で中学入試の問題など購入して、少し自分でやってみているが、これが結構難しい。小学校の算数は、微分積分こそないものの、数列や、整数問題など、高校級の問題がずいぶん含まれている。図形など、たいへん難しい。私は、中学の頃、あの灘高校やラサールに行きたいなどとバカなことを考えて、春休みだけ大阪の入江塾に入塾していた経歴があり、勉強はかなりできたほうである。高岡高校に入学したときは、確か、学年中3番だったと先生に聞かされた。学習塾の先生を10年以上やっていたので、実力的には今でもある程度を維持している自信がある。
しかし。中学入試がこんなに難しいとは知らなかった。私が勉強していた頃は、鶴亀算や旅人算など、昔ながらのものがほとんどであったような気がするが、ずいぶんとパワーアップしているのだろう。
うちの娘が”お受験”をするのかって?
私は今のところ、否定的な意見である。
しかし、勉強はしておいたほうがよい。
学校の勉強がなんの役に立つのか?という方が結構おられるが、私は役に立つと思っている。
ただ、文科省のカリキュラム自体は私は全く気にしていない。
材料は何でもよいのだ。勉強は有用な知識を増やし、論理操作を鍛える訓練になる。
それで十分である。その知識をいかに応用するかは、その子の能力なのである。
ゆとりだろうが、土曜日をどうしようが、私は私のやり方で子どもたちを教育するつもりだ。
何か役に立つものを、子どもたちに残してやりたいと切望している。
ミノはともかく、シーに対抗するには、それなりに努力をせねばならなそうだ。
下の娘の誕生日。
ダジャレ娘も8歳になった。
午後から二人でイオンに出かけ、
本屋とトイザラスで買い物をした後、
ドトールで冷たい飲み物を買い、
婦中のミレジムでケーキを買って、
家に帰ってきた。
ダジャレ娘はパパのことをよく知っている。
小説などの本には甘いが、おもちゃには厳しい。そこで、長い時間をかけてトイザラスで欲しいものを厳選し、一個だけパパにおねだりした。
ダジャレ娘は最近、デジタル機器に凝っている。使えなくなった携帯電話を女子高生よろしくシールで飾り立て、パパが勉強に使っていたMP3プレイヤーでユーミンを聞き、古くなったデジカメで写真を撮り、たまごっちをジャラジャラ提げて、まるでヒッピーのような格好をしている。
パパとしては、しっかりと考えて一個だけ選んだ娘に感心していたので、文句を言わなかった。
自分が小さかった頃は、もっと目移りしてあれもこれも欲しいとダダをこねた気がする。
偉いものだ。精神的には昔のパパよりも大人だな、と思う。
もう少し勉強してくれるとうれしいのだが……。
さて、今日はうれしいことがもう一つあった。
午前中会社で仕事をして、お昼ごろ家に帰ってきたのだが、郵便受けを見ると司法試験委員会からの通知が届いていたのだ。確かに、自己採点どおりだった。
ホッとした。マークミスで予選落ちするというイディオット・プロットはとりあえずなくなった。
後は、本選の成績がどのように返ってくるかだ。
法律の実力というものがペーパー試験で推し量れるものかどうか、私は少し疑念をもちつつあるが、とりあえず、そんな程度の試験さえクリアできないような能力しかないのであれば、確かに土俵から立ち去ってもらう方がよいのだろう。
申し訳ないのだが、私は予備校の答案のような模範答案が書けない。
批判しているのではない。あのようなコンパクトに凝縮された論証を書くには、長い時間をかけて、しっかりと暗記をしなければ、時間内に答案を書き上げることができないだろう。私にはそのような勉強は生理的に合わないのだ。たとえ試験にはばっちりだと、確信をもてたとしても、体が拒否反応を示す。馬鹿と言われても、その場で素直に考え、悩み、知恵と知識を総動員して精一杯の答案を書くことしかできはしない。その結果、舌足らず、言葉足らずで悪い評価がなされてしまうのなら、しょうがないではないか。
落第する伏線を敷いているようだが、私は負けを覚悟しているわけではない。
しかし、今までの経験上、私の答案があまりよい評価を受けないのは事実だ。
年齢のせいにしようと、頭が悪いせいにしようと、真実は決して変えることはできない。
試験は、試験でしかない。今年を最後に、私は弁護士の道をあきらめようと決意しているが、撤退は勇気ある選択だと思う。私にはすでに、大切なクライアントが多数あり、愛する会社と社員たちがいる。いのちにも匹敵する家族をもち、ここ高岡市に家を構えている。これ以上、わがままを通すことも許されないことなのだろう。
うかるか落ちるか。ここまでくると、数学的な確率論では推し量ることのできない五分五分といういい加減な確率こそが正しいように思えてくる。
あの論点に触れた、落としたなどと、いろいろな評価要素があるのだが、有名な死刑執行のパラドックスのようなもので、合格したと言われても、落ちたと言われても、いずれにしても私は驚きをもって事実を迎えいれることになるだろう。
その日。その日は9月13日である。
Judgement Day!
短答式試験の成績通知がまだ届いていない。
思い余って法務省に問い合わせたところ、
「そろそろ発送しようかと…」
などと、のん気な答えがかえってきた。
旧司法試験と異なり、新司法試験には短答式試験の「合格」という概念がない、と言う。
そうかも知れないが、待ちくたびれている受験生の身にもなって欲しい。
自己採点では350点中、248点。とてもよい点数とはいえないが、とりあえず、平均点以上にはなっている。短答式試験をクリアしても、特に意味はないのであるが、9月まで一安心していたいではないか。
いけないと知りつつ、どうも心が穏やかならず、暑いというのに心にすきま風が忍び込む。
にんげんができていない未熟者と、自分を嘲るが、どうにも仕事に力が入らない。
ボケッとグーグルで試験関係の記事を検索していたら、2chで司法試験問題の漏洩が取り沙汰されているのに気がついた。別にどこから問題が出題されようと、受験生は文句が言える筋合いではないので、私は別にどうでもよいと思っているが、2chではかなり盛り上がっている様子だ。みな同じように、自分をもてあまし、心にすきま風が忍び込んでいるのに違いない。法務省はさっさと成績通知を郵送すべきだろう。
どうして司法試験など受けようと思ったのか―――
スタートラインを確認してみよう。
①私の夢(の一つ)だった。
②税理士事務所にとってこの上なく有用かつ効果的である。
③新司法試験構想が魅力的だった。
こんなところであろうか。
①しつこいようだが、私は力の強いもの、声の大きいものだけが勝つ社会が嫌いである。弱肉強食でよいのなら、そもそも”rule of law”法の支配など不要ではないか。きちんとルールが守られ、正しいものが正しく、間違っているものが間違っている社会。私はこのような社会の実現のために、日々自分のできる範囲で頑張っているつもりである。理論的には資格など必要ないのであるが、資格がないと許されないことがたくさんあるのでやはり資格が欲しい。ごく真面目に、私は困っている人を助けてあげたいと思っている。
②税理士という仕事は、たいへん意義のある仕事で、それなりに責任を伴った重大な仕事であるが、あらゆる面でお客様のニーズにこたえようとすると、他の士業の方々とのネットワークが大切になる。良くも悪くも、日本は縦割り行政で、資格の壁に阻まれることがかなり多い。税理士ふぜいには仕事に関われないことも多いのだ。弁護士は、この点、戦艦か空母のような存在である。あらゆる法律のエキスパートであり、関われない仕事などまずない。本人がやる気さえあれば、すべての仕事は弁護士の業務であるといっても過言ではあるまい。
数年前、市役所と税務署において、私は税理士ふぜいがなぜに民法を語るのか、と馬鹿にされたことがあった。それはそれは悔しかったものだ。それこそ、そういう君は何様だ!と文句を言いたかったが、それは立場上、呑み込むしかなかった。民法の解釈をするのに資格がいるのだろうか?私の大学の成績はかなり優秀な方だ。民法は一生懸命勉強したし、自信もあった。若造だからか?税理士の地位が低いからか?何度も何度も自問自答し、いつの間にか考え始めた。「やってやろうじゃないか。弁護士ならいいんだろ。」
③司法試験は難しい試験である。機械的に合格できるなどという書物も売っているが、何にも知らない大学生の時には可能でも、40歳にもなったおっさんにはそんな勉強方法は無理である。そんなとき、敬愛する京都大学の佐藤幸治先生が座長を務める委員会のロー・スクール構想が一躍脚光を浴びた。ロー・スクールを卒業すれば7割程度が司法試験に合格する、という触れ込みだった。軽薄な私はこれだ!と確信したわけだ。さっそく、東京大学のロー・スクールに入学したわけだ。もちろん、簡単ではなかった。LSATと呼ばれるセンター試験の成績に加え、TOEFLの英語の成績が受験資格として必要である。入学試験は法律の筆記試験だった。やっとやっとで入学してはみたものの、東京大学がいかにすごい大学かを痛切に思い知らされることになる。基礎科目の勉強などする時間はサラサラなく、カリキュラムは徹底的に先端科目ばかりであった。試験は評価が厳しく、私は昔得意科目であった刑事訴訟法でいきなり不可(F)をとってしまったのである。
ロー・スクールにもいろいろあるようだが、私は東大のロー・スクールには感謝している。すばらしい学友たちを得たし、有名な教授たちの生の講義を聴くことができたし、親しく会話することもできた。今でも懇親会に呼んで下さる教授もいらっしゃる。すばらしい弁護士たちとも知り合うことができた。何よりも、学んだ内容のすばらしかったこと。得たのは知識だけではない。独学では到底たどり着けない、背景であり、体系である。
しかし、ばかな私は新司法試験をあまく見ていた。去年は簡単に苦汁をなめることになってしまったわけだ。
結局、やっぱり司法試験は難しいのである。
おやおや、何だか、ダラダラと書いてしまったことだ。
久し振りに、勉強会のメンバーで高田馬場にて会合を開いた。
4人で、実践的な金銭消費貸借契約書など作ってみたが、勉強になっておもしろかった。
メンバーに判事をしている友人がいるので、リアルな指摘があり、片や論理に長けた法学の教授。もう一人、有名資格予備校の看板講師で行政書士。私はいちおう、税務のプロということで、雑所得や贈与税の話などを念頭に置いていた。
このような拡大業際的な勉強会は、そもそも奇跡のなせる業である。実に楽しく、知的好奇心をくすぐられる。富山にいても、ここまで幅の広い話題を心置きなく展開できることはまずないのであり、すでに20年近い歴史がある勉強会だからこその宝物である。継続は力なりという言葉が重みをもって感じられる。
思えば、この間、みなそれぞれがいろいろな事件を抱えた。
途中で何度となく挫折した私。目標どおり裁判官になった彼。教授になった彼。教えるのがうまく、看板講師になった彼。それぞれに結婚あり、子どもの出生あり(おもしろいことに子どもの全員が女児である)、喜びや悲しみを時には一人で抱え、時には相談し、それぞれが立派に人間の生き様を演じている。このまま、ずっと、それぞれがしあわせでありますように。今、心からそう願うのである。
私は友人の多い方ではない。
ひょうきんに見えたり、明るく見えても、それは仕事に応じて養成されてきた作られた個性であり、本来の私のパーソナリティは、いわゆる「根暗」というやつである。
少なくとも、私の認識はそうなのだ。
読み書きが好きで、言葉少なく、一人ぼっちの時間がなくてはならない。本来の興味のむかうところは、精神の内面的な部分であり、表面的な計算や理屈をこねるのは好きではない。
うっそー!?という声が聞こえてきそうだが、まあ、よしとしよう。
評価とは、他人がするものだ。自分がするものは評価とはいえない。
何はともあれ、この勉強会のメンバーも40代ばかりになってきた。
よる年波には勝てん。
こんな言葉が、脳裏をふとよぎる今日この頃なのだ。
おいみんな。他人のことばかりじゃなくて、自分を大切にしようや。
いつまでも楽しい勉強会を開き続けたいものだな。