安易に引き受けてしまって、後悔している部分もないではないのだが、
今月来月は人前で話をしなければならないことが3回も予定されている。
ふれあい福祉センターの電子申告説明会、
法人会の法人税実務講座第2回目で、「法人税のしくみ」
同じく第3回目で「税制改正のポイント」。
今日は、娘たちの学習発表会で、朝から徒歩で小学校に出向き、展示物を見たり、学芸会を見たりしながら、ずっと法人税とは何だろうか、どうして税金を払わなければならないのだろうか?
などと、原理的な問題にさかのぼって考え続けていた。
高岡法人会は、昭和27年に高岡法人税務研究会として発足したのが最初であるという。役員の名簿がWEBで公開されており、理事の方々のお名前を拝見していると、いやはや地元の名士ばかりで、私のような若輩者が何をお話すればよいのだろうかと悩んでしまう。
私は出自が普通の税理士とは少し違う。東大の2年間を加えれば、6年の長きにわたり、法律畑であったわけで、これが私のバックボーンとしての誇りでもあり、また逆にジェネラリストすぎる弱みでもある。
さしあたり、普通の税法の説明をしても、面白くもなんともないであろうから、もっと根本的なところをやさしくお話ししてみようと考えている。
法人税って、所得税法から独立したってことをご存じだろうか?
なぜ、法人税が所得税法と異なり、累進課税ではないのか?
政府税調は、なぜ法人税の税率を下げようとしているのか?
役員給与の損金不算入の規定は、どこから出てきたのか?
私は、「所得税」というものは、基本的には個人が負担するものであると考えている。
そうであれば、なぜ法人が課税されなければならないのか。
それは、定期預金の利子や上場株式の配当と同じく、無税で増殖させるわけにはいかないからである。
法人に預けておけば、お金が無税で増えてしまうとすれば、昔の金融商品ワイドのように、無税であるというだけで手取り額がほかの商品よりも優位性を持ち、圧倒的な資金移動を生じてしまうことになるだろう。
一年に一度は必ず税金を課さないと、法人にしたら必ずもうかるという不本意な現象が起きることになるのである。
その意味で、法人の利益が、必ず株価に反映されるなり、きちんと配当されるのであれば、個人のところで課税漏れが生じないから、法人税を課す必要はない。
結局、法人税というのは、個人の税金の前取りであり、その本質は、利子所得や配当所得と同じ性質のものなのである。
さて、そうすると、ふつふつと疑問がわいてくるだろう。
利子や配当は2割課税じゃないか。譲渡所得も原則は2割課税だ。それなのに、どうして法人税は3割課税なのか。
そうだ。その通り。指摘はまことに正しい。私の考えでは、法人税は金融所得と肩を並べ、2割課税に縮減すべきであるということになる。このようにすれば、個人は、投資信託にするのも、定期預金にするのも、上場株を買うのも、売るのも、また法人を作って事業を営むのもすべて均等に2割課税されることになる。
その代わり、所得税は上げる。格差問題だとかジニ係数だとか、難しいことばかり議論していないで、所得税の最高税率をもっと上げればよいではないか。今の世の中は、金持ちに優遇しすぎている。累進課税というのは、収入の多い人にこそたくさんの税金を負担してもらおうという、所得の再分配機能の表れだ。収入の少ない人は、少なく、収入の多い人はごっそりと税金を払う。私はそれでよいのだと思う。
政府税調は、法人税を下げる替わりに消費税を上げようとしているやに思われる。財務省の人の話を聞いたことがあるが、ほかの国と比べて日本は消費税が安すぎるとばかり言う。何も消費税だけで比べる必要なんてない。逆進現象といって、消費税を上げると、収入が少ない人が苦しむことになるのだ。
考えてもみなさい。収入が1000万円ある人の生活費が500万円だとする。消費税が10%だとすれば、50万円負担することになるだろう。収入が400万円の人の生活費が300万円だとすると負担は30万円だ。これで既に不公平だと思わないか。
貯蓄が年間に500万円できる人の50万円の負担と、100万円しか貯められない人の30万円を並べて、消費税は使った分に均等に課されるから公平だ、などとあなたは納得できるだろうか。
そんな時代になっても、車やゴルフ・釣りなどの趣味に今まで通りお金を使えるだろうか。
私はいやだ。絶対に納得できない。
インボイスを導入して、食品などを軽課するにしたって、本質を変えることはできない。やはり、いくら使ったか、ということよりも、いくら使えるのか、ということが公平感の本質なのである。
これこそが、消費税よりも所得税の方が公平に感じられるということを言い換えたものであることがおわかりだろうか。所得とは、ふところに入ってくるお金を指し、そのおかねは貯蓄と消費に回る。消費にだけ課税すると、貯蓄について非課税になってしまうのである。
政府税調は専門家集団であるから、この辺のことはよく分かっている。分かっているのだが、彼らは政治家ではない。コストを下げろという号令をかけることができるのは結局、国会議員なのだ。足りないお金を調達するだけが仕事になると、安易に税率を上げる道を選択せざるを得ない。
私は法人会で言いたいのである。声を大にして叫ぶべきだ。税制は、国民が決めるものだ。何が公平か。誰が税金を負担するのか。テレビの報道を見ていると、道行く人たちがインタビューされて、わけしり顔に「消費税?上げるしかないんじゃないですか?」「しょうがないでしょう」などとこたえる。
私はこういう無責任な発言に腹が立つのである。
あなたは余裕があって払えるかもしれない。
でも、私は放漫経営の国家財政のつけを自分が支える気には到底なれない。
結論を急がず、もっと国民の中で話し合うべきだ。
法律が先行すると、強制的に払わなければならなくなってしまう。
重いテーマだが、自分なりに頑張って話を組み立てようと思っている。
チケットをもらったのでオーバードホールに出かけてみた。
前から2列目のど真ん中!いわゆるカブリツキというやつである。
ジーンズにジャケット姿で登場したのは、確かにあの「彼」だった。
彼はよく、変な人のように言われるが、私はそれほど悪い印象を持ってはいない。
それほど回数を見たわけではないが、テレビで彼が下す判断は、おおむね自分の判断にさほどずれているとも思えないからである。早稲田大学と聞くと親近感がわくということもある。
光母子殺害事件に関する一連の出来事は、彼なりの正義感から出たものであろうし、私は死刑廃止論者ではない。
向こうの弁護団の主張はよほど常軌を逸していると思われる。死刑制度は厳然と日本に存在しているのだ。悪法も法なり、とはソクラテスの有名な末期のセリフだが、死刑制度が違憲ならば、正々堂々と違憲論を展開して最高裁を説得するのが弁護士だろう。死刑を避けるためならば悪魔にすら魂を売り渡してもよい?それは、筋が違うと感じてしまう。私も変な人間だということなのだろうか。
さて、折しも日本生命の保険金不払いの話が出てきたが、橋下弁護士はこれと比較して、社会保険庁の話を持ち出してきた。いわく、「国民年金の掛金は、強制加入強制徴収なのだから、民間の生命保険と異なり、言われなければ払わないという(請求主義)ではいけないと思う。」
これを聞いた私は、一瞬、この人は行政法を知らないのではないかと疑ってしまった。
おそらく、社会保険庁の役人たちは、このセリフにこんな反応をするのだろう。
「規制行政と、給付行政は別だ。給付は国民に付託された国家財産を支出するのであるから、厳格な手続きを要するのは当然のことだ。」
だが、徴収されたお金が給付されるお金とひも付きになっていないというのは、年金保険料を税金のような対価性のない収入とごちゃごちゃにしてしまうことを意味する。
他人のお金だと思っていないから、横領したりするのである。
民間に対しては、しきりに預かったお金は自分のお金と分別管理を義務付けていながら(信託・銀行・保険など)、自分たちは何をしても許される?
確かに、彼の言う通り、年金は国民からの預かり金であり、銀行預金並みにとはいえないが、信託財産くらいには自由に引き出せたってよいのである。
国のほうから「お宅のお金はいくら預かっていますよ」と教えてくれたって、当然じゃないか。
銀行などの民間の金融機関は、郵便代をかけて、きちんと取引の通知を送ってくれるのだから。
出捐と、給付が切り離されている。それは行政行為の話である。対価性がないことが定義に含まれている租税とは違い、保険料と年金は、明らかに対価性があり、財産としては同一性がある。国は、予定どおりに返還する責任を負っているのだから、受託者としての責任を当然に負うべきではないか。 民間の法理は、可能な限り、国民と国家の関係についても援用されるというのが建前である。そうであるなら、民間の受託者が負う責任を国も負わなければおかしいではないか。
①善良なる管理義務
②報告義務
③分別管理義務
④返還義務
この程度のことは、当たり前だ。
このように考えた結果、私は、橋下弁護士の判断(彼は直感という)に私も賛成することにしたのである。
いやいや、学ぶところの多い講演会だった。
私も3本ほど今月来月に法人会等でお話しさせていただく機会がある。彼ほど上手にしゃべることは出来そうもないが、何か、出席者には「来てよかったな」という気持ちをもって帰っていただきたいものである。