時には、疲れて、もう立ち上がれないと思う瞬間がある。
穴があったら入りたいと思うときもある。
誰とも会いたくない、何もしたくない、塵のように粉々になって飛ばされてしまいたい。
何もかも投げ出して、どこか遠くに行ってしまいたい。
つらかった時代、私も1度だけ、このような思いにとらわれたことがある。
税理士は楽な商売だと思われがちだが、決してそんなことはない。
資金的なことではなかったが、紛争の渦の中で、いっそ逃げ出したいと思ったものだ。
経営者の悩みのほぼ大部分は資金繰りかもしれない。
月末の給料が支払えない。
仕入先への支払いがままならない。etc
たかが、金。されど、金。
資本主義社会の恐ろしさは、金回りが悪くなって初めてわかる。
手のひらを返したように冷たくなる金融機関、
態度と裏腹に与信管理に走る仕入れ先、
おもしろがってうわさを流すライバル企業、
社員たちの目が気になり、何もかもが裏目に出るような気がする。
独りぼっちだ。そう、広い世界にたった一人となった自分。
スパイラルにはまり込むと怖い。
精神がかなり蝕まれる。
危険信号を察知したら、一人で悩んではいけない。
恥ずかしいなどと言っている場合ではない。
誰か、話を聞いてくれそうな人を探しなさい。きっと誰かいるはずだ。
家族。
税理士。
社員。
人に話を聞いてもらうことができると、思いのほか気持ちが楽になるものだ。
それだけでも素晴らしい効果である。
さらに、その人が仮に能力の高い人であったなら、何か面白い手だてを考えてくれるかもしれない。
一緒に汗を流して、涙を流して、苦労を分かち合ってくれるかもしれない。
世は、厳しい自己責任の時代である。
しかし、繰り返し述べているように、人一人にできることは実にちっぽけなものにすぎないのだ。
昨日よりも今日を生きよう。
今日の先には明日がある。
勇気は、向こう見ずとは違う。本当の勇気とは、自分を変える力と知った。
まずは勇気をもって進むべし。
どうしようもなくなったときは、あっさり負けちゃっていいじゃないか。
しあわせは、いろんなかたちがあるのだから。
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シャウプ税制は、もともと法人の実在ということに関しては否定的である。
本国アメリカは、法人と個人が並び立つ納税主体であるが、日本では法人は今でも巨大な定期預金のようなものである。要するに、個人の財産を別のポケットに入れて利殖する行為としてとらえているのだ。
課税しないで放っておくと、配当もしないでどんどん膨らみ、1年に一回課税されるというルールを破ってしまうことになる。そこで、法人の利益というものにとりあえず比例税率で定期預金のようにいったん税金を徴収しておくことにしたわけだ。個人に配当がなされると、同じ課税物件に対して2度目の課税がなされるので、二重課税を排除するために配当控除という仕組みが設けられている。
税理士の中には、法人税を所得税と別個の税金だととらえる向きが多いように見受けられるが、実際には
①シャウプ税制の成り立ちからしても、
②昭和15年に所得税法から独立した法人税法という歴史からしても、
③現行の役員報酬の損金不算入の規定や、益金・損金の金額評価における市場性の影響の強さ、などからしても、
④配当に絡む税制の趣旨からしても、
法人税は人税というよりは物税としての色彩が強いことは認めざるを得ない事実である。
法人が実在する存在か(実在説)、法により擬制された存在か(擬制説)、は民法上のカビの生えた議論であって、税法において解釈論として役に立つ概念ではない。一般的には法人に担税力があることは明らかであり、担税力がある法主体である以上、納税義務者になることは憲法論的にも認めざるを得ないものであると考えられる。
さて、TAINSにも投稿したのだが、税制は他の法分野との関係で、エッジをますます明確にし、その独自性を増している。
一つには、今ほど述べた、「法人格」の観点。すなわち、民事法上の法人であろうとなかろうと、個人のお金の別ポケットと認識される限り、1年に1回の課税を免れさせまいとする配慮がなされて「法人税」が課税される。人格なき社団はずいぶん前から法人税の納税義務者だし、信託課税では個人であっても法人税が課税される。要は、別ポケットかどうかだけがその決め手となっているわけだ。
もう一つ、平成19年度の税制改正で特徴的だと思われたのは、「所有権」という民事法的な枠組みにとらわれず、経済的実質に着目する課税形態が増えつつある事実である。これは、税法が、法律よりも会計に近づいてきているという現象としてとらえることも可能であるが(国際会計基準に配慮した)、法律という世界の中でとらえると、やはり他分野との決別とみてもよいと思われる。具体的な例をあげると、リース制度と、信託制度が典型的であろう。リース制度では、「所有権移転外リース取引」でありながら、売買処理を行うことが明定された(平成20年4月1日以降契約分)。所有権がないにもかかわらず、売買したものとして取り扱うのだ。信託制度は、昔から実質課税原則(12条)が存在している。
法人でないのに、法人税を課す。所有権がないのに、所有としての処理をする。
民事法をベースにしてきた租税法こそ、東大・金子教授の築き上げられた「法分野としての租税法」ではなかったか。今まさに、アメリカ流功利主義を背景としたファイナンス理論の嵐が吹き荒れ、租税法も経済学に翻弄されようとしているのであろうか。
「法と経済」の問題。
法律の世界に起きた「ファイナンス理論・ビッグバン」(注:私が勝手に命名したものです!)は、租税法をも浸食しつつあるのだろうか。それとも、会計をベースにしているから(?)、租税法はもともと法律学ではなく、会計学の延長上の学問だったにすぎないのだろうか。
法学が大好きな私にとって、今、租税法は熱い。
各業法のテイストで微妙な味付けをしながら、会計・経営と関連性を持ちつつ、解釈学の醍醐味を忘れない。さらには経済学の侵略を受け、まさしく、アレキサンダー大王の遠征とヘレニズム文化のような文化の融合が生じているようだ。
えっ、おもしろくない?
こりゃまた、失礼しました。(^v^;)
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シリーズだった法人会の法人税実務講座の自分の分を終了して、今日は久々にホッと一息。
テーマが前回は「法人税のしくみ」、今回は「税制改正」ということで、
シャウプ税制からの連続性をもった我が国の法人税というものの考え方を
所得税制度全体の中に占める位置づけから明らかにし、
さらに今後の二元的所得概念の中で、法人税がいかにあるべきか、どのような方向性を目指していくのが筋なのか、比例税率が何%が妥当なのか、信託税制や役員給与の損金不算入がどこに由来しているのか、そのようなことを徹底的に論じてみた。
その中で、税制改正の今後の動きに触れ、現在の政府税調・財務省の考え方を整理し、規制緩和と現行税制とのギャップを浮き彫りにすることを試みた。
各論部分は、少々細かい減価償却制度やリース制度・役員給与関係、組織再編税制などをポイントだけ概覧する。
幸いなことに、私は会社法については、改正の最も大きな推進力となった江頭教授や武井弁護士に指導をいただいたし、信託法についても、政府の座長を務めておられた能見教授の講義をとっていた。企業会計審議会のドンのような神田教授の証券取引法(現在は金融商品取引法)のゼミ生でもある。知的財産権については、大御所の中山教授のゼミ生でもある。租税法は中里教授と宮崎弁護士、そして楽しい増井教授。銀行法は岩原先生。行政法の斉藤先生、小早川先生。
挙げればきりがないが、日本を代表する学者たちの歴々である。今更ながらたいへんな学恩を感じる次第だ。学生時代は特に優等生ということはなかったが、この方々のおかげで、今の私が存在する。私にはたいへんなコストを投資したバックグラウンドの知識が存在しているのだ。試験に合格するまではいかなかったが、実務上、何度となくこのような知識が私を助けてくれる。
税理士は税金だけのプロであってはならない。
実務は網の目のように相互に関連し、有機的に結びつき、ある制度とある制度とは表裏一体の関係にある。租税法を深く勉強すればするほど、他の法律との関連が明らかになり、他の法律を勉強するとまた一つ租税法が深くなる。お客様には、コンプリートな形での仕事や提案を提供したい。物事の一面しか見ない仕事では、いつか必ずお客様を傷つけることになるのである。
行政書士の仕事をするようになって、自分の仕事がもうひとつ幅が広がった気がしている。
今まであまりかかわってこなかった業法の類と真剣勝負でにらめっこすることが多くなり、六法で培った法の解釈や知識を違った形で適用することにより、税法の世界とパラレルワールドの関係にある異次元世界をも闊歩できるようになったからである。
今、私は仕事が楽しい。次元を超え、時空を超え、あらゆる法の世界を散歩する。文字の中を踊り、論理を楽しみ、言葉をもてあそび、世界の姿が違って見えてくる。
変な人かな?
そうかもしれない。またそれも良し。
世の中、楽しいだけでは生きていけないのである。一つくらい、楽しみがあってもよいではないか。