アフリカを口ずさんでいるうちに、
すっかり気分が高揚している。
たとえば、英語。
アフリカン・イングリッシュは何を言っているのか全然聞きとれない。
そこで、歌詞カードをみると、めちゃくちゃな英語である。
もとのTOTOの歌詞を自分のセンスで適当に変えたようだが、
似ても似つかぬ、独自の英語もどきの歌詞の中に
何かとてつもなく生命力に満ち溢れた
新しい息吹を感じることができる。
言葉は生き物である。
文法だとか、構文だとか、難しいことはさておき、
外国人とフランクに一生懸命話してみるのがよい。
日本人や韓国人は、形にこだわりすぎる傾向があるように思われる。
I like you.
君が好き。
ただその一言だけで、どれだけの人を幸せにできるだろうか。
午後に訪問したクライアントは、30年間超優良企業であり続けた
うちのお客様の中でも最もロイヤリティの高いクライアントである。
今は会長になっている社長のお父さんは、
駆け出しだったころの私を初めて「先生」と呼んでくれたその人だ。
くじけそうになったとき、その言葉に何度励まされたことであろうか。
今、優良企業であるが故の悩みとして、自社株の高値安定に憂慮する。
数年、金庫株や、レバレッジド・リース、保険商品などで事業承継対策を打ち続けてきたが、
思ったほど金額的な効果が出ず、今回の事業承継税制に全力を賭す。
会長は、あまり時間が残されていないと思われているようで、
私にはそれがさびしい。
打ち合わせの後、社長としばらくレクサスの話で盛り上がり、
久々に溜飲を下げた。
腹を割って話をすると、いろいろな話が出てくる。
私は、どうやら社長がいろいろなものに束縛されていることに気づいた。
「考え方次第じゃないですか?」
「もっと楽に、肩の力を抜いて。」
「余裕があるんだから、赤字になったっていいじゃないですか!」
「私がシミュレーションをしてあげますから、 失敗なんかさせませんよ。」
「チャレンジしましょう!」
いい会社にはそれなりに悩みがある。
赤字を出すのが怖いのだ。
銀行にへつらわれ、税務署に感謝状をもらい、優良企業のレッテルを守り続ける。
しかし、大切なことは何だろう?
この会社は、昔もっと活力があった。
私が巡回していた頃の事務所には笑いが絶えず、厳しくも楽しい職場であった。
みんなで工夫をし、知恵を出し合いながら、忘年会では馬鹿をやってひっくり返る。
この会社が強くなったのは、そんな歴史があるからじゃないか。
私は、最強であった頃のこの会社を知っている。
だから、今の社長にずけずけと意見をした。
もっと楽しく仕事しましょう。
自由に。気ままに。思いつきを実行するのです。
私を信じてください。
危険なときは、止めに入ります。
企業は、人と金と物でできている。
人が魅力的になると、企業も魅力的になる。
企業=ヒト×(カネ×モノ) 人の魅力に企業の魅力は比例するはずである。
誰よりも、社長が楽しまなければ。
社長の魅力を社員たちが信じて愛さなければ。
そうすれば会社は、必ず伸びる。
明るい職場はたいてい、優良企業なものである。
固定観念にとらわれないこと。
束縛されると、人間の精神は委縮してしまう。
創造力が枯渇し、活力が減退し、発展を止める。
自由だー!
などと、叫ぶ芸人がいるが、
それもよい。
そう。
私たちは本当は自由の国にいる。
保守的で不自由な国にいるように思うときもあるが、
それは、私の心が勝手に縮こまっているのだ。
外国人たちを見よ。
彼らは、友達や家族を大切にするが、他のことは自由だ。
自分の壁を壊そう。
どこかの看板に、私が変わればあなたも変わると書いてあったが、
どうもその指摘は正鵠を射ているようだ。
好きなことは好き。
いやなことはいや。
自分を止める必要などない。
またまたJSミルの言葉を引用しよう。
「他人の自由を束縛しない限り、あなたは何をするのも自由である」
実は、他人の自由を束縛するかどうかが結構難しい。
うちの家内は、子供たちを支配することとしつけをすることを混同している節がある。
さっき、具体例で指摘したら、めずらしく黙り込んだ。
いつもなら、批判をすると百倍にして返ってくるのだが、どうやら思い当たる節があったらしい。
私もたまにはいいことを言うようだな。
相変わらず好き放題なことを書いている。
読んでくれたあなた、
あなたがこの話を信じるかどうかは、
「自由だー!」
2日、3日と県の試験研究施設の一つの監査におもむいた。
今日は、企業再生を依頼されたある飲食店の経営計画の策定会議、そして新規クライアントの建物移設のお手伝いで新湊へ、その後弁護士さんとクライアントの係争案件の打ち合わせ。
最近はすっかり仕事の内容が変化してきた。
私はいったい何の仕事をしているのだろう?
ときによくわからなくなる。
どこに行くのも、車の中でよく聞くのは、
カール・ウルフの Africa である。
もともとボズ・スキャッグスやTOTOが高校生の時に好きで、
といっても、友人の影響による請け売りだったのだが、
「アフリカ」は、TOTOの4番目のアルバムで全米大ヒットした曲である。
I bless the rains down in Africa~
アフリカの雨をたたえよう―
というフレーズがとても好きで、20年以上たった今もそらで口ずさめるほど
この曲が好きだった。
ドバイのカール・ウルフというアーティストがカバーしたというので
購入してみたのだが、原曲とまた趣が変わって今風にアレンジされており、
とてもクールでかっこいい。夏向きの涼しげな曲になっている。
アフリカの壮大な自然に雨が降る。
広大な砂漠、そしてサバンナ地帯。
ライオンやキリン、そしてアフリカゾウのために恵みの雨が降る。
水は生命の源泉であり、人もまた雨の恩恵に浴する。
オアシスは生物の都となり、さまざまな命を育むのである。
ブラッド・ダイヤモンドというデカプリオ主演の映画があるのをご存知の方もおられるだろう。
ショッキングな映像があちこちにあり、心臓の弱い方はやめた方がよいが、
おそらくは、アフリカの真実を物語る、恐ろしいドラマである。
人が無造作にマシンガン(イングラム?M2ライフル?カービン?)で撃たれ、
ぼろ屑のように倒れ、死んでいく。
子供も女もない。死体はそのまま朽ち果て、村が全滅する。
撃っているのは、笑いながら人を撃ち殺しているのは、
なんと小学生くらいの子供たちである。
洗脳され、殺人に慣れ、命を何とも思わなくなった子供たち。
命乞いも、金も、親子の情さえ彼らをとめることができない。
フィクションで片づけるにはあまりにも重い、世界がそこには存在していた。
ある試験研究施設の所長が、日本の厚生労働系の予算はほとんどが年金に向けられ、安全や健康にかけるお金が少ないから、日本では生命の価値が安いのだ、という趣旨のことをおっしゃった。
私は、ふとブラッド・ダイヤモンドの映画を思い出し、日本は幸せな国だな、と思ったのだった。
生命の価値。
私にはよくわからない。
危険な国に行くのはこわいからいやだ。
でも、身近な人たちがもしもいなくなるとしたら?
祖父母や義父のように、空しく息絶えていくとしたら?
ガンで死んだ中学の同級生、自殺した友人みたいに?
客観的な時価のような価値は私にはわからない。
しかし、身近な人をなくしたとき、
大切に飼っていた犬を失ったとき、インコを失ったときでさえ、
胸が空っぽになったような気がしたことを思い出す。
動かなくなるのだ。
そこに体があるのに、昨日までは笑い、涙ぐみ、話していた体が、
揺すっても、たたいても、起きなくなる。
眠っているように、静かに見えるけれども、
もう2度とここには帰ってこないのだ。
この喪失感こそが、主観的な生命の価値であろう。
失って初めて失ったものの重さが分かる。
人間とは愚かなものであるが、
その重さも感じてくれる人がないほど、あるいは重さを感じるべき人も一緒に殺されてしまうほど、
アフリカでは、生命の価値が軽いということになるのだろうか―
いろいろな思いを胸に、
私は壮大な「アフリカ」を口ずさむ。
日本では、生命の価値を感じることは幸い多くはない。
人間にできることはそれほど多くはないが、あるいは未知の危険には無駄かもしれないが、
監査で訪れた環境科学センターは
24時間、空気中の有害物質を監視し、流水、海水、地下水の有害物質を監視し、近隣の原子力発電所の放射線を監視している。職員の方々には頭が下がる思いがする。
生命の価値に対して、我々はそれなりに税金を投入しているのだ。
日本が安全な国だということの一つの証拠をみたような気がした。
私たちは日本に住むことによって、
生命という保護法益についてはある種の既得権益を手にしているわけだ。
あとは、「自由」だけを論じれば済む。
子供の頃から自由を切望し、しがらみを断ち切り、
あらゆるものから自由でありたいとそれだけを願ってきた。
悲しみに立ちすくむアフリカの人々に比べれば、
なんとぬくぬくした甘っちょろい考え方であろうか。
私にはアフガンでボランティアをするほどの勇気はない。
大切なものがここにたくさんあるのだし。
あくまで小市民な私である。
ダラダラと長くなってしまった。
午前中は、企業買収の作戦会議、
午後は、税務調査立会と契約の調印式、その前後の説明と、プレゼン、そしてビジネスプランの提案。
忙しい一日を終え、
古い友人の連絡先を調べる必要があって、
年賀状を数年分、見返していた。
とげとげしいビジネスの嵐の中で、
ふと、センチメンタルになる瞬間がある。
世田谷でマンションに住んでいた頃から、
現在に至るまで、
走馬灯のように時代が流れた。
年賀状はすてきだ。
ほんの一言の書き込みの中に
あふれ出す思いの数々。
行間を読み、胸が詰まる思いがすることもたびたび。
すでに死んでしまった同級生の手紙は
そんな一つである。
我々は、みな銀河に散らばる星のようなものである。
思い思いの方向に無重力下の永久運動を繰り返す。
ときにぶつかって方向性を変え、
数年の間、並行してランデブーし、
また方向性を変えて別れていく。
出会いがあり、別れがある。
人は皆、虚空の旅人なのである。
落葉松の林を過ぎて、
落葉松の林に入りぬ。
落葉松は寂しかりけり。
旅行くは、寂しかりけり。
今日も、よい出会いがいくつかあった。
いつものお客様もまた新しく出会う。
新しいお客様にも出会った。
同僚との出会いもまた新しい。
気持ちを新鮮に、
毎日別れ、毎日出会うのがよい。
だって、同じ一日は二度と来ないのだ。
一期一会。
やはりこの言葉は重い。
謙虚に、誠実に、率直に、人と触れ合うことを心がけよう。
明日から、いよいよ県の監査に入る。
県の公務員たちは、ちょっとドキドキしているかもしれない。
私がどんな人かを知らないだろうから。
私は、自分なりのポリシーを決めている。
頭から否定することはしない。
意見をよく聞いて、相手の立場をよく考えて、
しかし、県民の代表として、厳しく真実を追及する。
事実を正確につかみ、優しく、そして厳しく、自分なりのストーリーで報告する。
人との良い出会いは、優しくすればよいというものではない。
厳しく、そして優しいというのがベストである。
明日も精いっぱい頑張れますように。
弱い自分に負けないように、ブログにしっかりと記入しておく。