ひたひたと、
世界を変える足音は
音も立てずにやってくる。
今日は、五七調で始まりました(^^; お粗末!!
インターネットが世界を変えた。
この事実は、
まぎれもない真実である。
昔、憲法で「表現の自由」(21条)を勉強した。
マス・メディアの存在によって、情報の送り手と受け手が分離し、
われわれは、一方的にテレビや新聞によって作られた情報を受け取るしかなく、
情報発信が事実上できない不自由な存在として、
そこには描かれていたはずだ。
さらに、知りたいことを知ることができるように、
憲法21条には、その含意として、
「知る権利」という表現の自由の現代的コロラリーがあるという。
そんなことまで、教科書には論じられ、実際に何件もの憲法裁判が起こされたものだ。
時代は変わった。
われわれは、インターネット上で、自由に表現を行うことができる。
2チャンネルで。ブログで。HPで。
そして、情報は網の目のように(WEB)、トラックバックやリンクによって結びつけられ、
あるいは、キーワードとして、検索エンジンによって関連付けられ、
いくつもの数限りないPCやメガサーバーをグローバルに結合して、
巨大なメディアを構成している。
私は、テレビを見なくなってしまった。新聞も読まなくなってしまった。
正確な情報源は、法律や官報や通達などの原始データで丁寧に拾う。
2次情報源は、うわさ話やインターネットで十分である。
インターネットが不特定多数のボランティアで構成された巨大なマス・メディアであることを
理解している人はどれほどいるのだろうか。
無法地帯である。
私はこの自由さが好きだ。
知りたいものは何でも調べることができる。
どこにいても、接続環境にあれば、いろんなことができる。
この地球上に、これほど自由な空間があるか?
あり得ない。
どこもかしこも、国家権力やら、所有権やら、土壌汚染やら地球温暖化やら環境破壊やら、
不自由な空間でいっぱいだ。
これを読んだあなた。
5千円で、不動産が買えると思いなさい。
ドメインを買って、ブログやホームページを作りなさい。
グーグルのサービスを満喫しなさい。
「電脳コイル」の世界は、今もうすぐそこに来ている。
私は学生時代、ミスタードーナツでアルバイトをしていたことがある。
日本橋高島屋のおもちゃ売り場で、ゾイドやらファミコン(古い)やら、
そんなものを売っていたこともある(3年ほど?)
片や、家庭教師をして、時給5千円の仕事をしながら、
アルバイトは自給800円くらいのものだったように記憶している。
なぜ、そのような仕事をしていたのかは、ご想像にお任せする。
学生時代は、いろいろなアルバイトをしたが、
今思えば、たいへん勉強になった。
時給は安かったが、人との接し方を教わり、
また、店の人になってみて初めて、客の気持を考えるようになった。
当時は、何にも知らず、灰皿を拭く台布巾と食器を拭く台布巾の区別ができずに怒られたり、
ソフトクリームが上手に作れずに、お客さんに許してもらったり、
遅刻の常習犯で同僚に迷惑をかけたりした。
遅刻のところは今もそれほど変わっていないとよく言われるが、
基本的には接客商売をそんなアルバイトで学んできたつもりだ。
それはともかく、
現場の仕事というのは、徹底的なマニュアル志向である。
マニュアルを頭に叩き込み、会社の名を汚さないように、
全店舗共通のマニュアルに応じた仕事をする。
逆に言うと、マニュアル通りの仕事をすれば、社員は職責を果たしたことになる。
自分で考えて判断するという場面がないではないが、
それほど多くない。
私は、だから給料が安いのだろう、とそのころから考えていた。
ところが、今年、県の監査の仕事をしてみると、
膨大なマニュアルがあり、民間の会社よりもよっぽどマニュアルがしっかりしている。
調べると、なんでもわかるし、
間違えやすいところは、「ワンポイント」などと注意!が記載されており、
非常に親切なものである。
ただ、大変ぶ厚い。
悲鳴を上げながら、1ヶ月くらいで一通り目を通したが、
地方自治法をきちんと踏まえたマニュアルで、まことによくできている。
私には少しわからなくなった。
マニュアルがあれば、仕事は頭を使わなくてもよい⇒給料は安い
という構図が崩れたからである。
先日、名古屋のワシントンホテルで研究会が開かれた。
懇親会では、経済学の教授(岐阜)、国際法の教授(ドイツ在)、現職の裁判官(東京)、事業会社の社長(京都)、税理士である私(富山)の5人で6時間あまりも議論をしたが、
私がこの、「マニュアルに給料を下げる効果がある」という仮説を持ち出して、
公務員の給料は一般的に高すぎるのではないか、
という考え方を持ち出したところ、
場内すべてからいっせいに反撃を受けた。
みんなの意見を集約するならば、
「マニュアルを読んでもわからない人や、読むこともできない人がいる」
ということらしい。
しかし、公務員というのは、小難しい試験を通過した人がなれるものだ。
掃除や運転などの現業の人は知らないが、
普通に採用されれば、マニュアルを読めない人などいるわけがない。
マクドナルドはマニュアルの有名な会社だと思うが、
公務員もマクドナルドのアルバイトも、仕事の質は同じなのではないだろうか。
基本的に、マニュアルにないことは、
「先例がありません」と拒絶するだけだし、
マニュアルを忠実に実行することこそが行政を担う公務員の職務であることは
憲法学的に争いはないはずだ。
研究会は、自由な人々が自由に意見を交換する場であり、
私は、隣に友人の公務員がいても、平気で好きなことをしゃべる。
右翼化しているぞ、タカ派か、おまえは?
などと、からかわれたが、私は天皇陛下を必要以上に崇めたりはしない。
日本国の象徴という憲法の言葉を大切にするだけだ。
私は、単に、自由主義なだけである。
自由を制限するものは悪だ。
人は、もっと自由になるべきだ。
ご批判、ご叱責は、責任をもってうけたまわる。
私が自由なのと同様、あなたも自由だから。
アメリカの私法界を席巻した「不完全契約理論」の話をしたことを
覚えておられるだろうか。
要するに、完全など世の中にはあり得ないのだから、
最初から不完全を前提にしておくべきだという考え方だ。
たとえば、「私は株主総会で、決して発言しない」と約束したとする。
これは、配当優先・無議決権株式の場合に、現実に多々利用されてきたことで、
別に珍しいことではない。
しかし、発言しないと言っても、限度がある。
一般株主に優先して、先に配当をもらえる権利があるからこそ、
通常のことに関してはつべこべ言わないということだったはず。
景気が悪くて、配当が数年間も連続してもらえないとしたら、
本当に黙っているべきだろうか。
もっと卑近な例を考える。
「私は決して暴力に訴えない」
と、マルチン・ルーサーキングのような非暴力主義を標榜し、
自分が殴られていても我慢できるとして、
自分の大切にしている家族や恋人が危機に瀕していたら、
暴力に出ないでいられるか。
愛する者を守る行為は、正当防衛として刑法36条で違法性を阻却される正しい行為である。
約束が拘束力をもち、守らなければならないのは当然だ。
しかし、行間を読み、約束に例外があることが許されないと考えるのはあまりに硬直だ。
頭が固すぎると、かえって批判の対象となることだろう。
単純な言い方をすれば、契約(約束)とは、このような不完全なものであり、
きちんと解釈し、行間を読まなければ、もとより意味のないものなのである。
何が言いたいのか、少しわかった方もおられるかもしれない。
また来たか、としつこく感じられる方もお付き合い願いたい。
我々の世界に、法律はどれだけ必要なのか。
日本の法律の数の凄さといったら、とんでもない膨大さだ。
特に、行政法と呼ばれる分野がたいへんに多いことを知ってほしい。
たとえば、家を建てるのに、いくつの法律が絡んでいるだろう。
家を建てるのは、そんなに珍しいことでもないが、民法、建築基準法、都市計画法、住宅品質確保法などの膨大なすそ野が広がっている。住宅ローン制度が絡むと、さらに増える。
車を購入し、維持するのに、どれだけの法律が絡んでいるだろう。道路交通法、自賠責保険法、地方税法、自動車リサイクル法、道路運送車両法などなど。そしてそのすそ野に、国土交通省、地方出先機関、運輸局、警察庁、都道府県警察、運転免許センター、交通安全センター、リサイクルセンター、車検場、などなどのすさまじい労働人口が巣食っている。
本当に、法律は必要なのか。
われわれは、偉い人たちに政治を任せ、中身を見ずに丸投げしてきた。
しかし、よい国になったか?と問われれば、私は疑問をつけざるを得ない。
子供の教育の範囲は、国が決めなければならないのだろうか(最高裁の国家教育権説への疑問)。
交通ルールは、日本の隅々まで国が決める必要があるのだろうか。
商売を始めるのに、いちいち国の手続きをする必要があるのだろうか。
家を建てるのに、いちいち許可してもらう必要があるのだろうか。
疑問はとどまることを知らない。
日本は、君主主権国家から、民主主義の国家に変わった。
憲法は、私有財産制を認め、財産権を基本的人権の一つに数えている(憲法29条)。
しかし、土地は、今でも国の土地を所有させてもらっているのだ。
憲法には、営業の自由も職業選択の自由に含めているという(憲法22条)。
しかし、営業は、国に認めてもらわなければできないことがほとんどだ。
飲食店をかってに作れば、食品衛生法で逮捕され、起訴されて有罪となる。
この国の支配者は、国民のはずだが、
現実に支配しているのは、法律である。
法律は道具であり、意思がないのだから、
現実に支配しているのは、偉い人?
違うな。
知らしむべからず。よらしむべし。
明治の太政官はこんなことを言ったそうだ。
「国民に意味をわからせてはならん。ただ、従わせればよいのだ。」
現実の法律は、国民のためのものではない。
これは、国民を制約するための道具なのである。
さあ。あなたはどんな法律が必要だと思うか。
私は、簡単である。
「悪いことをしたら、だめだよ。」
あとは、全部話し合いで決めればよい。
税金なんぞ、しょせん、田舎のマンゾウである。
昨日今日と、和光市にある税務大学校の公開講座に参加している。
「税を考える週間」税を考えろ、というから、
忙しいにもかかわらず、税のことをいっぱい考えてしまった。
そうそう。今日は、公会計・財政のテーマである。
富山県の外部監査をするようになって、地方自治体のこともよく考えるようになった。
公会計については、アメリカの制度に習った新制度がしだいに導入されつつある。
しかし、会計制度がいかに革新されようと、
財務自体が健全化しなければ何の意味もないわけだ。
よく、プライマリーバランスという言葉が用いられるが、
これは、企業経営で言うならば経常キャッシュフローのようなものである。
要するに、営業キャッシュフローと投資キャッシュフローの結果で、
債務の償還前の資金繰りと思えばよい。
もっとわかりやすく教えてほしいという人は、
ざっくり、「経常利益」がマイナスだ!と思ってもらってもよい。
えっ?それが赤字なわけ?
なんて、いまごろ叫ぶ人がいるかもしれないが、
実は、本当に赤字なのである。 (^^;
どうします?
あなたの会社が経常利益がマイナスで、
しかも、簡単にもどせそうにないとしたら??
普通の会社ならば、社長含めて給料を減らしたり、
ボーナスをカットしたり、経費を減らそうと心掛けるだろう。
うちは、MAS監査を導入しており、このような指導も行う。
また、銀行にリスケや返済ストップなどの財務改善を指導するときは、
当然のことながら、自助努力が不可欠である。
だが。自治体や国は、これが簡単にできない仕組みになっている。
ご存じのとおり、法律と予算の拘束力だ。
公務員の給料や退職手当、その他様々な手当などの人件費は、
膨大な法律の多重保護を受け、
良くも悪くも、柔軟性に欠けること著しい。
財務分析の世界には、労働分配率という言葉がある。
限界利益(粗利益と思ってほしい)に占める人件費の内訳のことを一般に言うが、
これが5割を超えると、経営は成り立たないというジンクスがあるわけだ。
さて、自治体の決算において、労働分配率はいったい何パーセントくらいを占めるのだろうか。http://www.pref.toyama.jp/cms_cat/403040/00005915/00205585.pdf
ためしに富山県の20年度予算をひもといてみた。
人件費は、1483億。歳出の30%弱。
しかし、これは労働分配率にあたる比率ではなかろう。
なぜなら、収入の中には、借入金(債券)の収入も入っているからである。
思いきって、県税や使用料収入などの純粋な自主財源に地方交付金や国庫支出金を加えて、
3683億円という数字を出してみた。http://www.pref.toyama.jp/cms_cat/403040/00005915/00205584.pdf
これで計算すると、40%強。
さらに、国庫支出金を除外して計算した3163億円という数字を使うと、約46.8%。
この数字がいかなる意味を持つかは、もう少し正確に考える必要があろうが、
反面、「扶助費」のように、人件費に含めたほうがよいような費用も他にありそうである。
企業会計の場合、固定費を下げて、変動費化することが
変化に強い企業体を作るポイントであることが指摘される。
公共団体の場合にも人件費を変動費化する工夫がぜひとも必要ではないか。
制出制入という言葉をご存じか。
民間は、あるお金の中で出費をまかなう。
ところが、国は出費は固定化しているから、税金を増やそうとするのである。
出費を減らせと予算にシーリングをつけると、真っ先に削られるのは事業費である。
公共事業を削減し、新事業は極力行わず、
かつて大きなお金をかけて作られた建物も格安に売却して捨ててしまう。
遊休資産?そんな簡単に遊休資産ができていいのか?
事業がなくなるなら、その事業に関連する公務員の方々は不用である。
公務員の方々だけが職を残し、事業だけがなくなるとすれば、それは不公平以外の何物でもない。
一度就職したら、職は決してなくならない。
給料は、下がることはほとんどなく、物価とともに上がっていく。
平均年収は職種を問わず、民間よりかなり高い。
これらを指して、人々は、公務員を「安定した職業」と呼んでいる。
結婚するなら、公務員という声を私は何度となく聞いた。
以前から言うように、
私は「公平」とか、「平等」という言葉が嫌いである。
何と何を比較して公平というのかが、あいまいなことが多いからだ。
本質をごまかし、金額や待遇などのうわべだけで比較することが本当に「公平」か。
仕事の内容を一人一人検討すべきである。
悪いが、もはや四の五の言っている場合ではない。
小泉改革がやり遂げた方法もある。
改革に聖域はない。
みんなのお金じゃないか。大切にしようよ。
簡単に税金を増やそうなどとするのはやめよう。
そんなことをしたら、かえって日本という国のスポイルを継続させるだけだ。
国が大きすぎるなら、自治体のことから考えよう。
県が大きいなら、市町村から考えよう。
自分たちのことは自分たちで決める。
偉い人に任せておけば、何とかなる、なんてのは、幻想だ。
公務員に任せておけば、何とかなる、なんてのも、幻想だ。
自分のことは自分がする。
自分は自分で守る。
本当に国や自治体に任せなければならないことはなんだろう。
もう一度、そこから考え直さなければならない。
えらく難しい案件に遭遇している。
いくつもあるのだが、
なかんずく相続税の仕事はけっさくだ。
とうとう、おれおれ詐欺に間違われてしまった。
いきなりどこぞの税理士から電話があって、
お宅は先だって孤独死した金持ちの相続人の一人だ、
書類に実印をもらいたい-----
そんな話をあなたは信じるか?
実は私はつい先ほどそのような電話をして、
相手に、まじまじと、
お宅だったら信じますか?
と問われてしまった。
笑い話のような、それでいて、まぎれのない本当の話なのだが、
電話しながら、
私は自分がおれおれ詐欺をしているような錯覚にとらわれた。
確かに、怪しい。
とてつもなく、怪しい。
怪しいこと、この上ない。
自分は、生まれも育ちも富山県で、
怪しいものではありません、
赤祖父で税理士を営んでいるものです。
言えば言うほど、怪しく聞こえてくる。
電話の向こうで、困惑している様子が感じ取れ、
私は、苦笑いをするしかない。
最後まで、信じていただけず、結局、向こうからうちに適当に訪問していただくことに。
少しだけ、経緯を説明してみよう。
事の始まりは、大正時代である。
ある方が長男ではなかったので、婿入りされる。
しかし、いかなる事情か、出戻りして、また別のところに婿入りされる。
その時に、二人の姉妹が実子として届出され、数十年を経て、妹が今年の4月に亡くなった。
配偶者は死別、子はない。両親もとうに他界している。
相続権は、第3順位の兄弟姉妹ということになる。
ところが、実は、両親のうち、婿入りのお父さんは、いかなる事情か、実子届出の後、しばらくしてからまた離婚して、再婚され、これをあろうことかあと3回繰り返した。
都合、6回も結婚したことになる。
大変な苦労をして、戸籍をたどって行くうちに、一人だけ、相続人が残っていることが判明してしまった。
亡くなった妹とは、異母兄弟の関係にあることになる。
民法でいう、半血兄弟姉妹である。
相続分は、全血兄弟の半分ということになる。
わかってしまえば、別に難しいこともないが、調べるのがたいへんな事件であった。
過去形ではなく、これから遺産分割の協議もたいへんな難航を余儀なくされるであろう。
おれおれ詐欺騒動で、出鼻をくじかれ、すっかり気が重くなっている私である。
遺産分割協議は、相続人全員の合意のもとに作成されなければならない。
そして、それがなければ、登記もできないし、銀行口座や証券口座の凍結解除をすることも叶わない。
しかし、見ず知らずの、はっきりいって赤の他人である。
電話の向こうで、何度となく、「なんじゃそりゃあ?」
と、ため息をついておられたが、
そのようなかかわりあいになることすら危ぶまれる事件に相続権があるのが
わが民法のおかしなところでもある。
彼は、寝耳に水であったし、お姉さんに至っては、離婚して遠くなったお父さんが後で結婚を4回も繰り返しているなど、想像するはずもない。
いわゆる「寄与分」などで、若干配慮してあげないと、
半分の相続権というのすらもちょっと首を傾げたくなる気がする。
難事件が多い。
世が世だけに、厳しい解決を迫られることも多い。
お客様たちは、私に判断を委ねようとされる方が多くて、
とうに仕事に関して、食傷気味である。
つーかーれーたー
休ませてくれー。