疲れ気味だ。
いろんな人と、いろんなことを話す。
悩んだり、怒ったり、笑ったり、落ち込んだり…
喜怒哀楽がドンドコと押し寄せてきて、
私は一人でいるときは、とことん無表情である。
落語家は、家に帰ると無口だというが、
そんな心境がよくわかるのである。
ここ数年の傾向として、難しい内容の申告が増えた。
難しいというのは、二つ意味がある。
①貯蓄から投資へ、などと政府が政策を提言しているが、
金利の低迷などの理由から、金融商品にいろいろチャレンジする人が増えた。
その結果として、株式取引や信用もさることながら、
先物取引やら、外国投信やら、REITやら、FXやら、外国債券やら、
ありとあらゆる投資商品が種々雑多に申告の中に登場するようになった。
いまや、総合課税だけでおとなしく申告書が終わる人は半分くらいではないか。
②核家族化が進み、離婚件数が高止まりし、さらに少子高齢化という時代の中で、
家庭環境が複雑なケースが多くなってきた。
また、雇用形態も多様化し、所得控除のあり方や、
所得の種類などで判断に悩むケースが増えている。
さらに、所得税の枠を飛び越えて、
相続税や贈与税の問題をはらんでいたり、
法人税の問題をはらんでいたり、
人々の暮らしも十人十色だったり、
よく事情を聴かないと、失敗してしまうことにもなりかねない。
もうひとつ、ばかばかしい複雑化の要因がある。
それは、租税法全体が体系性を失い、
方向性を失いながら、難解さを極めているという点。
理論的な面が弱くなってくると、税法は暗記するしかなくなる。
その結果、知っているか知らないかで納税者に大きな損得を生み、
税理士は失敗する確率が高くなる。
また、納税者は、税金を取られて損をしたと思う気持ちが強くなってくる。
見つからなければもうけもの。
見つかったら運が悪かった、という租税のモラル・ハザードが生じてくる。
スピード違反する人の心境のようなもので、
警察に捕まった途端に、
「運が悪い」
と思ってしまうのである。
本当は、「悪かった」と
反省すべきところであろうが。
こんなことでよいのだろうか。
我々の社会は、これで幸せのインフラとなるのであろうか。
私は、引き続き、草の根のような運動を続けていく。
法律は、理論的であるべきだ。
精緻な理論が背景にあって初めて、
それを国民に周知して初めて、
ペナルティは真に実効性をもつであろう。
疲れているが、やめることはできない。
私は、自分を偽ることができない。
正しいと信じるもののために、全力を尽くす。
このバカ者は、そんな愚直な生き方しかできないのである。