最近、私の帰りが早いな、と
気づいた方がおられるだろうか。
ひそかに、ミノの特訓塾を1週間、継続した。
当然、誰も知らないであろうが、
私は、大学時代は、結構人気の塾講師だった。
1年生の時に、大阪の伸学社(いわゆる入江塾)に教生のバイトに行って、
「この腐れ早稲田が!!」
と、入江先生に缶ピースをカーン!と投げられて以来、
私は、教育に目覚め、それなりに努力してきたのである。
4年生くらいになったときには、
高田馬場の学習塾でずいぶん、人気講師になっていた。
できる子とできない子の差は、
世間が思うよりもずっと小さい。
中学や高校で習うことなど、
実は、それほど大したことではないのである。
いちばん時間がかかるのは、何よりも勉強の習慣づけと、語彙力である。
それ以外のことは、すべて、要件と効果の反復練習で十分カバーできる。
できない子ができる子に変わるのは、ほんの一瞬の努力で十分なのだ。
ところが。
うちの家内がそうなのだが、
ちょっとしたことで、すぐに子供の可能性を否定する。
できる姉と比べて、
「お姉ちゃんはこんなのできたのに、なんであなたはできないの!」
これは絶対にいけない。
自分は、正しいことを言っているつもりかもしれないが、
ポイントは、正しいかどうかではないことに気が付いてほしい。
大切なことは、その子供を伸ばし、能力を開花させることである。
自分ができたことでも、お姉ちゃんができたことでも、妹ははまって抜け出せないこともありうる。
それを「あの子は、だめだ」
などと、とんでもない勘違いをするのは、私にすれば親として断固として許せない。
親バカと呼ばれようと、何度裏切られようとも、
親だけは、子供の力を絶対に信じてあげなければならない。
ほかに、子供を信じてくれる人がどこにいるというのか。
子供の中に、だめな子とできる子がいるなんて、
私は絶対に信じない。
あなたは、頭が良いからだ、などとおっしゃる人もいる。
しかし、それは違う。少なくとも義務教育では、そんなに難しいことを要求してはいない。
植木算やら、旅人算やら、ニュートン算やら、物理やら、化学やら、生物やら、英語やら、
子供の時に、勉強では苦手だったことでも、
大人になると何となくできるようになった経験はないか。
なんだ、こんな簡単なことか!
と思ったことはないか。
なーんだ。そんなことか。
そう思うのが、早いか遅いかの違いだけなのだ。
小学生の時によいメンターやコーチに出会っていれば、
ほとんどは飲み込めていたはずだ。
できない子とできる子の差は、
「なーんだ」という一瞬のカタルシスを感じたことがあるかないかなのである。
茂木健一郎は、これをドーパミンという脳内の分泌物で証明できるというらしい。
ドーパミンは、麻薬のように、次々と達成感のマジックを引き起こす。
結果として、その子は、勉強すればするほど楽しくなり、優等生になっていくのである。
さてさて。
問題は、うちのミノだ。
彼女は、勉強の習慣がない。姉と違って、読書量が少なく、語彙が少ない。
私が思うに、最も手ごわい生徒である。
一週間、毎日、算数と国語を指導した。
ちょっと、自信が出てきたかな?
シーお姉ちゃんは、「パパ塾」と命名してくれた。
パパ塾は、厳しくもやさしい。
内容は、結構、ハイレベルであるが、いろいろご褒美も用意してある。
毎日、四字熟語と漢字の読み書きで語彙力を鍛える。算数は、計算と幾何の両方がある。
4年生なので、焦ってはいない。
目的は、勉強の習慣づけと、ドーパミンの獲得である。
ふっふっふ。
友人の大丸先生の息子さんが理Ⅰに合格したという。
うちのミノも、なんとかしてやるぜい!
うちの家内は他人事のように私を親バカとあざける。
私は、ただの親バカではない。
ウルトラ・スーパー親バカである。
お帰りーっ、と迎えに出てきた上の娘は、
私の革靴を履いて玄関に出てきた。
私は足が小さく、上の娘の足のサイズとほとんど変わらない。
「靴に違和感がないな!」
シーの靴は全部、24センチだよ…。
機関銃のように、矢継ぎ早にいろんなことを話す娘の話に、相槌を打ちながら、
私は迎えに来ない下の娘が気になっていた。
上の娘は、マイペースで、自分の世界を持っている。
いつも努力家で、普段からいろんなことにチャレンジし、
それゆえに、あまりへこむことがない。
それに比べて、小さい頃から天真爛漫だった下の娘は、
早熟なこともあって、最近は少し、影があるような気がしていた。
自信を少し失いかけているのだ。
私には、理由がわかる気がしていた。
何がわからなくても、どんなに仕事にかまけていようとも、
こと、うちの子供たちのことに関しては、私は世界最強の科学者である。
成功しているかどうかはともかく、研究の努力を怠ったことはない。
それだけは、絶対の自信がある。
難しい年頃であるから、嫌がられない程度に、
たっぷりと楽しい時間を演出した。
夕食をとり、テレビを見、世間話をし、一緒に勉強する。
お風呂から出てくると、最後には、元気一杯、お休みーっと子供部屋に消えていった。
いとおしい子だ。
まだ小さいのに、いろんなことで悩んだり、落ち込んだりしている。
戦え、みの。
逃避はだめだ。
けがをしたって、傷は癒える。
私が全力で君を支えていくよ。
聡明な思考と、勇気をはぐくんでくれたら、それでよい。
私は安心して役目を終えることができる。
子供たちを愛している。
紛れようもない、この真実が奇跡だ。
クールな自分が、こんなに親バカになるとは、
当の私さえ、いまだに信じられないのである。
すっかり、プライベートな記事になってしまった。
更新をさぼっていたら、いろいろとお叱りを受け、
また、グーグルからも手痛いランク落としをくらった。
毎日書くのもなかなか難しいものである。
何度か触れたように、
国際租税法の研究会を
有志で開催している。
今回は、京都場所であった。
テーマは、過少資本税制と国際租税回避行為である。
ちなみに、鴨川を散策し、祇園を抜け、八坂神社でお参りしてきたが、
京都はいい。
光と闇の絶妙なバランスに、感服脱帽。
妖怪好きな私としては、夜の京都のロマンは素晴らしい体験であった。
内容について、詳しく触れることは
このブログの存在意義と相容れない。
しかし、研究会の中で、私にはいろいろと悩むところが多い。
というのは、法律の間に潜むさまざまなギャップを目にすることが多いからである。
たとえば、会社法がどんどん変化し、会社に自治を認め、法の規制を緩める方向性にあるのに対し、
法人税法は、法の規制を強める方向性にあると感じられることが多々ある。
以前に触れたように、会社法における会社は、社会に散在する資本を結合し、巨大資本を結成して大事を成し遂げようとする事業のための器である。
これに対し、法人税法における法人とは、個人所得の一つのポケットであって、投資信託と同様、巨大な金融商品である。
会社法は、自由を謳歌し、より合理的に、的確に、健全な企業自治を目指そうとするが、法人税法は、とかく、自由を制限し、選択の幅を狭く、官製の理屈を貫こうとする。
物の金額は時価に統制され、給与も統計に収束され、無形資産すらも利回りを想定される。
特異な契約は、不合理であると否認され、そこにも税金を追徴されてしまう。
私は特殊な考え方であるから、
お客様には客観的な説明をするように心がけているが、
会社法では自由なんですが、法人税法では認められないのです、
という説明をするときほど空しいものはない。
もっと自由にしたらいいんじゃないだろうか?
租税回避を片っ端から許さない、というのではなく、
研究して、新しいテクニックを開発したら、褒めてあげたらいいじゃないか。
すべて、平等にしようなどと思わず、
努力した人には努力を認め、それに見合った成果を上げてもらえばよいと思う。
足を引っ張るばかり。
そんな世の中は、いやなものだ。
先般より、さるクライアント同士の業務提携に動いていた。
営業力はあるが、ノウハウがない会社と、
ノウハウはあるが、資金力がない会社の
マッチングを試みたのである。
ほぼ、当初の思惑どおりに事が運び、
今日、宴席で、事実上の提携が無事成立した。
結果のほどは、これから、というところだが、
ベストな形で、両方のクライアントに幸せを運ぶキューピッドになれたようだ。
縁の下の力持ち。
私は、そんな役割である。
両者を何度となく交渉の場に立たせるうちに、
次第に、両者に信頼関係が生まれる。
その中で、私の影がどんどん薄くなっていく。
子供が育っていくような、一抹の寂しさを感じながら、
私は、黒子になっていく。
それもよしとしよう。
私の仕事は、お客様に幸せになっていただくこと。
いつか、ふと、私が歴史の転換期にそこにいたことを
思い出してもらえるだろう。
AB型は、計算高い、策士であるという。
さまざまな要素を計算し、人の心を読み、展開を予測し、その対策を準備する。
確かに、私にはそのような傾向がある。
いつもパチパチ算盤をはじいているように思う人もいるに違いない。
資格がこれまた、税理士である。
挙句、法律などを根拠として、理屈っぽい表現が多い。
どうも、他人に好かれないようだ。
ときに、さびしくなるのである。
基本的には、信頼にこたえようとして最大限の努力をしているはずなのに。
たとえ命を削る思いをしても、約束を守り、全力を尽くし、自己犠牲的に行動するのが私なのに。
自分が不幸になる選択だとしても、決して厭いはしないのに。
それでも、私は憎まれ、疎まれるように思えるのは気のせいか。
皆に好かれようなどと、そんな甘いことを思うわけではない。
しかし、仲間だと思っている人に嫌われたり疎まれたりするのは
とてもつらいことである。
齢43年。
私も、人並みに年輪を刻んできた。
自分の生き方に、後悔はしない。
いつも、悩みながら、苦渋の決断をしてきたのである。
その決断は、その瞬間にはベストのものだった。
もちろん、いろいろと、思いはある。
もしも、もしも…
仮説はいくらでもある。
だが、人生は二度はないのだ。
信念のおもむくままに生きる。
一人ぼっちでもやり遂げる。
竜馬のように、前だけをひたすら見て、馬車馬のように生きていく。
相続の切れ目がない。
これほどたくさんの相続税の申告をしたことはない。
とめどもなく、情け容赦なく、財産評価やら、相続税申告やら、仕事がとまらない。
相続税は、譲渡所得と並び、税務業務の中では最も困難といわれる花型業務である。
税務、といったものの、
その業務範囲は、実際には民法が入口ででんと腰を据え、
決して、税務だけで話が終わる代物ではない。
挙句の果てに、温泉権やら、農地法やら、都市計画法やら、
さまざまな法律があちこち顔を出すから、
よく考えないで、下手に手を出すと、クライアントに大けがをさせることになる。
今回の相続は、なんと法定相続人が不在のケースだった。
遺言書があり、受遺者はこれまた、宗教法人である。
その宗教法人からの依頼で、今回のケースに遭遇した。
被相続人は、「〇〇家歴史」などという書物が編纂されているほど、
いい家柄の方であるが、傍系では最後の生き残りである。
”The last of Mohican” という映画をふと思い出した。美しい映画だった。
おっと、脱線した。
そうそう、相続人がいないということで、
四十九日に御親族のそうそうたる面々の前で、スケジュールについてご説明したが、
その際、被相続人のお母さんが再婚しておられるところまで戸籍で確認していたので、ひょっとして子供(異父兄弟にあたるので相続人になる)がいるかもしれないという話をしていた。
そうしたら、本当にいたのである。
事実は小説よりも奇なり、という。
母の戸籍とは別に、不思議なことに赤ん坊が戸籍の筆頭者である戸籍謄本が見つかり、
あとから母親の戸籍に編入されていたのである。父親は不明。
戦時中は、日本もよほどたいへんだったのであろう。
親族の噂では、被相続人は、本当の子ではないかもしれないなどという話もうかがうが、
神ならぬ身、私は戸籍の通りに仕事をするしかない。
さて、遺書が家庭裁判所の検認を受けて、帰ってきたとしよう。
事務所としては、自筆証書遺言の形式に欠けるところもなさそうであるという結論に達した。
申告はどうするか?
異父兄弟は、遺留分がないから、
遺言が有効であれば、相続財産のすべては宗教法人に帰属する。
宗教法人は、寄付を受けても法人税の非課税である。
相続税は?
相続税も個人を名宛人とする租税であり、法人は原則として納税義務者にならない。
何か、こんなような事件をテレビでやっていたそうだが、
実は、このケースでは、所得税の問題となる。
所得税法に59条という条文があり、
個人から法人への経済的利益の移転を譲渡所得とすることとしているのだ。
もちろん、故人の財産に、譲渡所得になるような土地・株・自動車などが含まれていなければ、所得はないので関係ないが。
さて、今回の事件は、財産の確定がまだ終わっていない。
よって、準確定申告がどのようになるのかについてはまだ不明である。
しかし、相変わらず、うちの事務所に来る事件は、難事件が多いのである。
実は、遺産分割が簡単なはずの今回の事件は、
別にもっと恐ろしい問題を内包している。
私は、これ以上、ここで触れるつもりはないが、
崎山税理士事務所は、夜も寝られないのである。
疲れるな~。もう、3時だし。
泣き言を言いたくなる、つよしくんである。
こんな私を、どうか、許してください。>All