貧乏ヒマナシな私は、最近とみにいろんな方にお会いする。
創業塾などでお会いする方々は、比較的アグレッシブで、名刺交換に来られる方も多いが、
法人会や、商工会などでお話をすると、 「アレ?」 誰も質問や名刺交換に来られなかったりする。
これは、講師にとっては多少の寂しさを禁じ得ないものである。
声も涸れよ、とばかりに情熱を込めた講演をして、会場を盛り上げてきたつもりが、
会が終わった途端に白けちゃっているのは
「祭りの後」とでもいうのか、さびしいものではないか。
世の社長たちは、 疲れているのか?
新しいことに次々とチャレンジし、失敗したり成功したり。
いい時もあれば、悪いときもある。
私など、いまだに家族中から 「負け犬」 呼ばわりである。
司法試験など、学生が簡単に受かる試験を、私がこれまた簡単に落第するのだから、
私とて反論のしようがない。
悔しいけれど、グーの音も出ないというところである。
ここはひとつ、発想を転換してみては?ということで、
私は、自分をあきらめた。
私は、しょせん、バカなのだろう。
やることなすこと、失敗だらけで、周りの大切な人たちさえ幸せにすることができない。
実業家のように、お金持ちになれるわけでもなく、
学者のように、優れた業績を残せるわけでもない。
歴史に名を残すなんて、とんでもない。
肩肘張って生きてきたが、とうとう、崎山は丸くなったということなのであろうか。
まあ、いいじゃないか。
広い広いこの地球に、或いは宇宙の中で、
私の生命など、チリみたいなものだ。
どうでもいいことにもがいてみたって仕方がない。
どうしたって、無理なものは無理だ。
齢45にして、何とかこんな境地にたどり着いたような気もしているのである。
しかし。(いよっ。待ってました!)
チリか、ゴキブリか。
そんな私も、実は一つだけ、絶対に自分を曲げることができない。
何なのか、自分でもよくわからずにいたが、言葉にするとこっぱずかしい。
ひょんなことで、自分が何にこだわっていたのか、悟った気がしている。
それは、「正義」という言葉だ。
先ほど述べたとおり、自分が何かすごいことができるなんて思ってるわけではない。
ただ、自分が生きてきた道のりをはるかに振り返り、
「あるべきものがあること」
こんなことに、私はとことんこだわろうとしてきた。
「正義」とは、恥ずかしいような意味では決してなく、
このような広い意味で、「あるべき」当為があってほしいという理想そのものなのである。
他人を助けたいと思うとき、とてつもなく、力が出てくる。
普段、怠け者で、頭のキレも悪く、ダメ人間の「負け犬」だけれど、
何か、突然、胸が熱くなることがある。
そんな時の私は、たいへん勤勉で、狡猾になり、勝つための手段も選ばない。
「許さん」
これだけで、私は、今まで何とか税理士業を営んでこれたのである。
世の中、どうも疲れモードが主流のようである。
何か、投げやりな人が多い気がしてならない。
欲もないし、上を目指すこともないし、
どうせ自分のことなど、誰も理解してくれない。
自分のことなんか、誰も何とも思っちゃいない。
こんなムードが漂ってくる人が、結構たくさんいる。
いけないですよ。そんな気持ちに取りつかれちゃ。
あなたは、いらない人なんかじゃない。
かくいう私だって、ゴキブリ扱いですよ。 負け犬ですよ。
変な人ですから、周りの人にも理解されませんよ。
でも、でも、それでも周りの人に話してごらんなさいよ。
すぐには理解されないので、当たり前ですよ。
だから、話しかけるのです。
話さなければ、あなたを知ることはできません。
逆に、話をして、わかってくれる人だったら、素敵じゃないですか。
一生の間に、一人か二人、ちゃんとわかってくれる人に出会うんじゃないでしょうか。
それで、いいんじゃないですか。
流されるのではなく、抵抗してみましょう。
敵わなくてもいいじゃないですか。
結局は、流されるのです。どうせ流されるなら、おもしろおかしく流されましょう。
もしかしたら、あなたの一言が、その人の人生を変えるかもしれません。
あなたの行動が、世界の因果を変えるかもしれません。
世界を変える。
そんな勇気をもってみませんか。
さあ、これを読んだあなた。
今日と違う明日を。
昨日と違う今日を歩みましょう。
あさ、 お会いした人に、「おはよう!」といってみましょう。
にっこり笑って、挨拶すると、世界が変わります。
腹が立ったら、怒ってみましょう。
その怒りが、世界を変えます。
少しでも、世界を変える努力を。
うーん、ひさしぶりに書くと、ダラダラ長かったかな。
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