海流の原稿として寄せたコラムを掲載する。
テーマは「性質別」会計から「機能別」会計への転化についてである。
税理士には頭が痛い話題かもしれないが。
目下、日税連では税理士法改正の話題でもちきりである。納税者の権利憲章制定の動きや、中小企業会計指針の簡易版の制定の動きも活発で、それなりの活況を呈しているように見える。しかし、他方で、多少空虚な思いも禁じ得ない。なぜなら、政権がどうも不安定で政治経済に方向性が見えず、景気向上の傾向も行き場を失ってエネルギーを拡散させているように思えるからである。実体経済のないところで法律や基準をいじってみたところで、その効果は限定的としか思えないではないか。
大局にばかり目を奪われず、足元に視線を移してみよう。実体経済を回復させるキーポイントは、常に中小企業にある。一つ一つの中小企業を回復させていくことが、ひいては国家全体の繁栄に必ずやつながるはずだ。
ダメになる企業の多くは、経営の管理ができていない。横並びの人事評価。確信のない原価計算。作ったような資金繰り表。社員の業務内容を見ないで残業手当だけケチろうとする。棚卸を面倒だと吐き捨てて顧みない。格好だけ役員報酬を減額しても、役員借入や役員貸付でキャッシュを抜いていく。生活習慣病と同じで、日々の生活態度の集積はやがては重篤な資金ショートという疾患をもたらす結果となる。
得てしてこのような企業は、費用を「性質別」に管理している。電話をしたから通信費。給料だから人件費。手数料を払ったから支払手数料。などなど。インフレ期はそれでまかり通ったであろう。一生懸命仕事をすれば必ず利益が出たからだ。しかし、現在の企業の経営がそれで成り立つか。部門別に収入と支出を紐付けし、採算性を常にチェックしつつ、早期に撤退や資源集中を繰り返すこと。売上が必ず良いものとは限らないのである。今や、「機能別」の会計でなければ無意味であると言っても決して過言ではない。
税理士は、専門職であると言われている。しかし、会計ソフトがこれほど安価に手に入るようになった時、「性質別」の帳票では専門的価値はない。われわれは、専門性の言葉にあぐらをかいてこなかっただろうか。育てなければならない大切なクライアントを、逆に甘やかしてスポイルしてこなかっただろうか。自らの税理士業務のあり方に、内心忸怩たるものがある。
不況に強いクライアントは、機動性が高い。常に新しいことにチャレンジして、失敗もたくさんしている。実は、失敗することはリスクではない。常に採算をチェックして、早期に撤退することさえ可能ならば、失敗の損害を最小限に抑えることができる。失敗しないことこそが真のリスクなのだ。それは、生きながらにして老衰の道を歩んでいることに等しい。新しい努力をし続けて初めて、売上が前年並みに維持されるということは、税理士ならばだれでも学ぶであろう経験則の一つである。
もちろん、向こう見ずを推奨する気はない。チャレンジの前提になるのは、「機能別」の会計帳票である。これがなければ採算をチェックすることもできない。また、新しいチャレンジ成功の期待値を弾き出すこともできない。工程を組み立て、実行予算が作れなければ人の業務分担すら決めることができない。
税理士事務所に頼まなくても、自分でちゃんとやっているよ、とおっしゃる社長もおられるが、気をつけなければならないのは、原価の漏れと一般管理費の増加である。新しい事業計画を見せてもらう機会も多いが、多くの場合、粗利計算だけで組み立てられており、その原価にも漏れがあることもある。また、ロスの発生見積もりが甘いものなども散見される。そればかりか、「忙しいのに、いったい誰がやるんですか!」と、社員から不満が爆発することも少なくない。
税理士事務所は何でもできるわけではないが、少なくともわれわれの作る帳簿は網羅性・検証性・秩序性を兼ね備えた正規の簿記であり、また費用収益対応をきちんと踏まえて作成する。「帳簿は金を生まない」とは、中小企業の昔からの風土であるが、私は今、あえて、声を大にして叫びたい。「帳簿は金を生む!」聞くところによれば、記録するだけでダイエットができるという。毎日の記帳も企業を必ずよくする。それは、戦場におけるヒットアンドアウェイ戦法を可能とするからなのである。