眠れる獅子?いや、プレーリードッグの父です。(^^;
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うちの娘は、寝起きが悪い。春休みなので、毎朝ボーっと洋服ダンスの前に立ちすくんでいる風景に出合う。
知ってますか。ミーアキャット。プレーリードッグ。そしてペンギン。
共通するのは、みな同じ向きで立ちすくんでいること。テレビで見ると笑みがこぼれます。
しかし、立ちすくむ娘をみると、ため息が出ます。
さて、うちは動物園のようなものだ。
上の娘は、ペンギンのようにポヨンとしたおなかで、洋服ダンスの前に立ち尽くしているし、
下の娘は、こざかしく猿のようにすばしっこい。私の部屋からこっそりと漫画やゲーム機などをさらっていく。
家内は、まさしく虎である。一声吠えると、町内中が震えあがる。猫気質で、気まぐれ放漫、気位が高く、猫パンチの威力は矢吹ジョーも真っ青である。床に残る傷跡は、今も癒えない(^^;
うちの母は、山羊だろうか。思い込みは激しいが、気質は穏やかでモグモグと編み物をしている。
父は?うーん。フクロウか。思慮深く、穏やかな外見の割に肉食系である。
私は―――。悩むな。ここまで家族をおとしめておいて、自分だけイメージがよいのも申し訳ない。やはり、ペンギンの父ということで、ペンギンか。
私は、確かに性格的にはのんびり屋で、あまり争いを好まない。まあ、仕事になると別なのだろう。仕事をしている時の私は、曖昧を許さず、戦うことに生きがいを感じてしまう。
今日の税理士会の理事会では、ちょっとスイッチが入ってしまった。
年度末だし、疲れているので、おとなしくしていようと思っていたのだ、本当に。
部会報告も最小限に抑えて、省エネ体制になっていたその時、
私が思い出したくないことを無理やり思い出させられる発言がなされた。
税務署から滞納納税者の書類を提出する命令が出た場合、税理士は従わなければならない義務があるという。
私は、慎重になるべきだと、いくつかの反論をした。
①提出しなければならない書類の範囲が曖昧。そのままでは、すべて提出義務があるように誤解されかねない。
②納税者が拒んでいる書類を税理士が提出するのは守秘義務の問題と併せて議論すべきで、我々は守秘義務と提出義務の間でジレンマに陥ることになるが、それでよいのか。
③ 根拠として、民法の請負に関する注文者帰属説を掲げていたが、明治時代に民法が作られてからずっと、我が国の632条の解釈は、所有権の帰属については請 負人帰属説が通説であり続けてきたはずだ。少数説を根拠にして、結論を導くなど、北陸税理士会の公式見解としてはとうてい受け容れられない。そもそも、税 理士契約が請負契約なのか委任契約であるのかもはっきりと解決のついている問題ではないのだし、所有権が帰属しているという理由付けが、提出命令という占 有権限の問題に対して明確な理由になるかどうかも疑問だ。
落ちぶれてはいるが、早稲田大学の法学部を卒業し、東大ロースクールの出身である。法務博士の称号もおしいただいた。
このような、理屈も通らなければ、結果も妥当でない、見解など公式の税理士会の場で発言すべき内容ではない。まるで学芸会ではないか。
法律を学んできた者のはしくれとして、理屈(法的安定性)と結果(社会的妥当性)の複眼でモノを見よ、という考え方は自分にいやというほど、染み込んでいるのだ。
参加者には、役員はじめ、税理士監理官もいたし、全支部長が参加していた。申し訳なかったが、私にはとても危険なことのように思えたので、言わなければならなくて発言したのである。なにとぞ、ご容赦願いたい。
これほど、ペンギンのような温厚な私の逆鱗(ペンギンにも鱗はあるのか?)に触れたのにはもう一つ理由がある。
以前、税務調査立ち会いの際、担当調査官が、当会計事務所の顧客に関する資料綴りを提出せよと命じてきたことがある。
原始帳票、決算書や総勘定元帳、給与台帳、固定資産台帳、総会、役員会の議事録など、必要なものはすべて顧客の下に整備されている。当会計事務所で保管をしているのは、ちょっとしたメモや、決算調整の検討の記録だったり、集計や計算過程などの途中経過である。
必要なことはすべて、まとめて顧客のところに保管しているにもかかわらず、それを見ないで頭ごなしにうちの資料をいきなり要求された。
私 は、即座に反論した。「あなたは、いったい誰の調査に来られたのですか?」私の取り調べにきたのなら、素直に見せるだろう。私は何の後ろ暗いこともない。 だが、管轄違いの、権限のない違法調査に対して、私が協力する義務はサラサラない。公務員が権力をカサにきて、濫用的な要求をされたのである。警察官が取 り調べを装って、女性をデートに連れ出すのと同じである。
税務調査は、税法が適正に運用されているかを調べるものである。
税理士法が適正に運用されているかどうかを調べに来たのならば、総務課が所管するはずで、担当外である。
窃盗事件の聞き込みにきた警察官が、あなたは殺人を犯しているのではないですか?と尋ねる。
食品衛生法の調査にきた厚生センターの職員が、あなたの会社は、労働基準法違反ですよ、とか、個人情報保護法違反ですよ、と言いだしたらどうするだろうか。
後ろ暗いところがないのなら、見せればいいじゃないか。大人になれよ。
そんな意見もあるだろう。
しかし、それこそ、思うつぼである。戦後、行政法学者たちがどんなに苦労をして行政手続法を作ったか。弁護士たちが、どんなに苦労をして警察の権力濫用を押さえてきたか。
治安維持法の下で虐げられ、権利を無視された人々がどれだけの数いたことか。陰に陽に、苦しむ人たちがどれだけいたか。
権利を主張するのは、簡単だ。しかし、「大人になれ」の一言で、押しつぶされる自分と孤立無援で戦うことは難しい。
私は、ペンギンか、ミーアキャットか、プレーリードッグの父で、温厚な人間であると思うが、大事なことは大事だ。
税理士は専門家なのである。そして、公正中立でなければならない。それが税理士の使命であると、税理士法には書いてある。
それは、納税者を裏切って、権力にたなびくことを禁じた趣旨なのである。我々は、肝に銘じて置かねばならない。
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美しい剣岳を見つめた午後
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走り回って、苦労した割りに、自分らしさがいま一つ、発揮できなかった。
知事報告では、コメントを述べる機会がなかった。
記者会見は、緊急の用事があって参加を取りやめた。
一人、県民会館の喫煙所から、美しい剣岳を茫然と見つめた今日。
私は、3年間の県庁の監査業務を静かに終了したのである。
朝、お客様から電話があった。お医者さまなので、病院から電話があったのは驚かなかったが、病床からの電話であり、内容が遺言書の作成業務の依頼であったことに絶句した。
それでも、緊急の仕事を止めることはできない。
光速で?朝の業務を終え、県庁に行き、知事室での報告会に参加し、気もそぞろでチームメンバーにご挨拶をして、そのまま病院に向かう。
お見舞いも用意する暇がなかった。
病床から遺言書を作ってくれなどと言われて、心穏やかではいられない。
「先生、気が早いっすよ!」と怒る自分などをイメージしながら病室に向かったが、いざ、先生の姿をみると、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。
あの人はこんなひとだ、あんな人だ―
我々は他人を平面的に分類したり、評価したり、しがちではないだろうか。
しかし、人間は決して静的な平面ではない。過去の数十年の歳月が人格にひだを与え、幾重にも複雑に絡み合った動的な人格が形成される。
単純に、他人のことを勝手な評価の対象としてはならないのだ。自然科学の世界とは異なり、人間の感性がいかなる判断を紡ぎだすかは、誰にも予測不可能なのである。
私は、自分を恥じた。先生を簡単に評価し、自分の尺度で「気が早すぎる」と軽はずみな意見を言おうとしていた。
恥じながら、一生懸命、その思いを汲み取ってきた。完全に、先生の真意をプランニングに表現してみせよう。
自分は、無力な存在だ。何も生み出せず、誰も動かせない。
人のなんとはかないことか。美しい心も、温かい思い遣りも、優しさも、朝露のごとくに消え去っていく定め。
定性的な心を、数字と文章で、どこまで奥ゆかしく表現するか。私はプロに徹することとする。
全力投球。これだけが私の武器だ。
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監査契約終了に当たって
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明日、石井知事とお会いして、1年間の監査結果を報告し、ひとことコメントを述べる機会が与えられるという。
私は、監査人チームの中でも一番下っ端で、皆さんの弟分みたいなものではあるが、言いたいことなどいろいろある。
まして、今回は、とりあえず堀先生が3年の縛りの中で職務を終了するに当たり、私も3年間の職務を同時に終えることとなるわけで、3年の苦労を総括したい気持ちもある。
しかし、知事もお忙しいし、端的にズバリといいたいことを言わなければなるまい。
そこで、二つに絞って、簡単にここにまとめておこう。
① 計数管理ではなく、現場を管理すること。財務指標だけではなく、非財務指標を重視した経営管理を管理者が心掛けるべきこと。
② IT系のリテラシーをもっと標準に向上させるべきこと。
この二つにすることにした。
簡 単なのは、②だ。アメリカはITの故郷みたいな国でもあり、情報を活用することにかけては国も超一流だ。情報を有効活用し、多数のデータの中からマイニン グされた情報をマーケティングに次々と活用する。情報の発信にもたけ、政府も議員もツイッターやフェイスブックでどんどん情報発信している。日本でもこの ような動きに追随している傾向が強く、とうとう首相官邸が(なぜか英語でだけ)、FBで広報を始めたところだ。
民間は、厳しい環境下で営利 を追求するために必死であるから、少なくとも、HPやブログ、サイト運営などといわれて怖気づくことはない。インターネットによる取引高が、百貨店全体の 売上を上回ったというのはもう一年以上前の報道ではなかったか。韓国も3月3日の報道によれば、22%も売上が逆転したという。
これだけ、ネットが発達しているのに、官公庁はWEBを利用する努力をしているようには見えない。
植 物園のすばらしい画集をデジタルデータにしないのか。四季折々の美しい写真をデジタルデータにしないのか。広告媒体は新聞とテレビだけなのか。花の情報を なぜリアルタイムで流すことを考えないのか。生き物の命は短いのだ。県民が参加できるインタラクティブなページを作らないのか。県民が見つけた美しい富山 県を、コレクションすることは理念にそぐわないのか。植物園を愛してくれる数少ない県民たちを顧客管理して大切にしようとは思わないのか。すばらしいきの こ博士のソリューションをなぜデータベースにして組織の財産に変換させていかないのか。
付加価値が生まれる瞬間を、簡単に見逃してしまう。 民間の発想からすれば、これは許されないミスである。経済学的には、このような損失を機会損失と呼ぶはずだ。経済学はおいておいても、経営的に、コストは 収入によって回収されなければいつまでたっても組織を自立させることはできず、税金でスポイルし続けるしかない。
また、コストを負担したい県民や組織があれば、その人たちにコストを負担させて育てさせればよい。植物園は、ネットワークの中核でさえあれば、条例の目的は達成されうる。なにも、全部自分たちで育てなくたってよい。
さて、①は難しいだろうか。理解してもらえるかどうか、自信がない。
組織が大きくなると、必要に迫られて、実務者と管理者が分化してくるわけだが、この管理者の腕前が組織の明暗を分ける。
管 理は自分で現場を見て、頭で考えて、重要な経営課題を指標とするべきである。つまり、チェック項目をいろいろと洗い出すわけだ。この際、支出データばかり を見ている管理者は、経営管理者として失格である。なぜなら、民間企業と同じで、出て行くお金に色が付いていないため、出金が少なければよいのだという発 想にとらわれやすいからである。
予算にシーリングがかけられたとき、このような管理者は、一律に何%ずつカットしなさい、といいがちであるが、このような何の根拠もない―アクションプランの裏付けのない予算管理は、ほぼ必ず失敗に終わる。よしんば成功したとしても、社員の不満は必ず膨張することになる。
考えてみてほしい。最初から無駄だと思ってお金を使う人はいないのだ。それを頭ごなしにカットしろと言われてもどだい無理な話だ。支出を減らすのはただ減らせない。減らすには実務面での何らかの工夫が必要なのである。確かに、やれと言われれば何かひねり出すだろう。
し かし、組織としての一貫性をもった運営は、次第に崩れていく。下請けをたたくか、しなければならない業務を削るか。給料は条例で固定されているので、決し て削ることはできない。あおりを食らうのは、たたかれた下請けか、公に期待していた県民か。いずれにせよ、予算がないからといわれて痛い思いをするのは常 に民間なのである。
だから。管理は、財務指標ではなく、非財務指標を用いてほしい。本当にすべきことは何なのか。入園者という数字を増やすことではなく、入園したお客様の満足度を高めることだ。
滞在時間を長く。リピート回数を多く。アンケート結果をよく。口コミ入場者を多く。電気自動車の利用回数をもっと。クラブの会員数をもっと。笑顔をたくさん。子供たちをたくさん。花の写真をたくさん。県内の二酸化炭素を少なく。
財務以外の指標など、いくらでも思いつくだろう。
人間には、個性がある。我々は数字やデータではない。
いやあ。困ったな。しゃべりすぎたら堀先生に叱られそうな気がする。
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フェイスブックはじめませんか
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最近、友人諸氏に片っぱしから働きかけている。
フェイスブックである。
アカデミー賞の騒ぎでも取りざたされていたので、言葉を聞いたことはあるのではないか。
アフリカでは、エジプトなどの政権交代にも一役かった。
これだけ、WEBが発達し、グローバル化が進む中で、国籍のもつ意味が多少低下しているのは事実だ。
確かに、日本人であることは私のプライドであり、アイデンティティであり、日本とは、私の身近な大切な人々の象徴でもあるわけだ。
しかし、友人を増やすのに、あるいはバーチャルな世界で会話をするのに、国籍にどれだけの意味があろうか。
いつか、自分をあらわすのに国籍ではなく、フェイスブックだ、ツイッターだ、ハテナだとか、私はグーグルです、ヤフーです、バイドゥです、という会話をする日がくるに違いない。
私はそのように考えて、一人ほくそ笑んでいるのである。
「お宅はどちら?何をお使いなの?」
「あら、私はグーグルよ。フェイスブックを使っているわ。」
こんな時代に、リアルな住所が日本だろうが、アメリカだろうが、そんなことはどうでもよい。
我々は、すでにWEB上に住み始めているのである。
やってみよう。フェイスブック。
楽しい世界がそこにある。WEBは基本的にきままである。何事にも参加するかしないかも自由だ。
気楽なので、IDだけは取っておきましょうね。
私 は、ブラウザはクロームだし、メールはGメールだ。データは可能な限りクラウドスペースをあちこちに契約している。銀行もネットバンキング。買い物は楽 天。大好きなソフトはセールスフォース。アイフォンとアイパッドでリモートデスクトップも出来る。会計ソフトは弥生会計。
これ以上、今のところ、何も望むものはない。
私はクラウドのこよなき信奉者である。
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頑張るのは私たちです。
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NHKのあさいちでのことだ。
被災者の方から、「頑張れ」という言葉はつらいからやめてください。という言葉が発表されていた。
命からがら、やっと生きながらえた方々。ガソリンも灯油もなく、カップラーメンをもらっても水もなかった日々に、「頑張れ」といわれても、これ以上何をがんばるのか、といぶかしんだ様子である。
まさしくその通りだと思う。
私が地震の件に関してまったく触れずにいることを怪訝に思われる方もおられたかもしれない。
天邪鬼の私は、皆がしないことをやろうと思う。
ボランティアが尊ばれるのなら、私は富山に残り、こちらの困っている人を助けようと思う。
皆が義援金を出すのなら、私は利益を出して税金を納めようと思う。
マスコミが被災の悲惨さを訴えるなら、黙って静かに仕事をしようと思う。
どこからどこまで、私は嫌なひねくれ者なのかもしれない。
だが、TVコマーシャルではないが、日本がこれで倒れるわけにはいかない。
こんな時こそ、元気な人間が一生懸命働かなければならない。
私には、被災した人々を助ける力などないし、身近な人々を支えて自分の身の丈に合ったことを力いっぱいするしかない。
自分に出来ることって、もっとたくさんあるような気がするのである。
みんながみんな、同じことをしなくたっていいではないか。
私は冷たい人間だといわれる。そうかもしれない。
否定をする気は別にないのである。
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租税の中立性
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税金の基本理念に、公平・中立・簡素というのがある。
民主党は、納得という言葉を使っているが、何をどう考えて納得するかは多分に個人の主観に依存する部分が多く、プロパガンダとしてはともかく、学問的には不明確すぎる概念である。
さて、租税が中立でなければならない、という命題に対して反論する方は誰もおられないはずだ。
しかし、現在有効に機能している租税が、本当に中立かどうか?
これは、常に問い続けられなければならないことだ。
典型的なのは、ガソリン税。
160円を超えるとトリガーがひかれ、暫定税率を無効とするが、25円も安くなるとかえってガソリンの値段が安くなる。
下がった税金の金額が上がった金額よりも大きいとすると、何やら?おかしなことになったものだ。
ガソリンの値段を直接高くしたり安くしたりするサーキットブレーカーといえば、聞こえはいいのだが、そんな妙な税金はわかりにくいし、あえて経済にインパクトを与える税金というのは税の本質に影響を与えてしまう。
税が政策目的でテクニカルに使用されるという印象が強まれば、税の根源的な正当性を弱めることになるだろう。みんなのために必要なお金だから払っているつもりなのに、必要だからではなくて、戦略的なお金にすぎない?それって、交通反則金みたいなものではないだろうか。
とはいえ、デフレになるのは、国民が悪いわけではないのだけれど。
固定資産税もなんだか変だ。
時価がどんどん下がっていくのに、固定資産税は高くなる。
クライアントさんで、使用形態は何も変わらないのに、国土調査があったというだけで、山林が宅地に評価替えされ、一年間で500倍に固定資産税が上がったところがある。
異議申立などの強硬な手続の前に、とりあえず、市の担当課に話を聞きに行ったが、けんもほろろに追い払われた。曰く、「今までが安すぎたんでしょ!」
これはないであろう?
最終的に、60日を過ぎて泣き寝入りになってしまったが、私はどうも「公」というものが疑わしく思えてならなくなってきた。
もう一つ、極めつけの事例をあげよう。
ある官庁が56億円かけて作った施設がある。これが業績が悪く、民間に売却することになった。
最低競売価格は、1億6千万円くらいになった。
入札者のうち、一番高かった人は2億円であり、この人は落札した。
数ヵ月後に、固定資産税の評価額が決定され、その評価は7億円だった。
不動産取得税と固定資産税を合計すると、5.6%くらいになる。この課税標準は、もちろん固定資産税評価額である。7億円に5%をかけると、3500万円である。
2億で買った不動産の税金が3500万円。これだけでは済まない。登記するには、登録免許税が必要だ。これも課税標準を固定資産税評価額とする。
結局税金をかける場合には高く評価され、時価はそれよりもはるかに低い状態となる。税金が高いので、ますます買う気力が失せて行く。そうして不動産を所有することはだんだん、ババ抜きのジョーカーのような存在に変化していくのである。
不動産の値段っていったいなんだろう?
取得価額は56億円(償却するから再取得価額はもう少し下がる)
時価は2億円(これが安すぎると官公庁は言う。安く買って得をしたね!?)
評価額は7億円(税金の基礎になる)
お金が必要ならば、税金を高くしないとつぶれるので、お願いします、というべきだろう。
なんだかだまされているようで、私は気にくわない。
「公」って何?
私は助け合いの人情なら信じられるが、ピュアな「公」なるものの存在は信じていない。
読者諸氏は、何度も聞かされてきただろうから、繰り返すことはやめよう。
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経営者が判断を誤るとき
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会社の経営者―といっても、非営利企業の場合には病院の院長だとか、財団法人の理事長だとか、いろいろな呼び名があるわけだが―が経営判断を誤る場合にはいろいろな原因が考えられる。
比較的わかりやすいのは、マーケットの未来を読み間違えるようなケースだが、そのような大きな間違いはその人に判断をゆだねた以上、ある程度はやむを得ないことであり、どうしようもない。
私が問題にしたいのは、今回は判断材料たるべき情報の出自である。
①ヒトによる情報
会社の経営者にはいろいろなブレーンがいて、さまざまな情報を経営者にもたらす。
組織が大きければ大きいほど、全体像を把握するためにはブレーンが必要であり、このブレーンの存在意義はまことに高い。
ただ、高いと一言にいっても、その情報にはいろいろな種類があって、すべての情報が等価値なわけでは決してない。また、次元の違う情報もあり、労務の問題や財務の問題、はたまた商品のクレーム、不良債権など、種々雑多な情報が経営者の下に舞い込んでくるわけだ。
情 報は、それそのものでは特に価値がない。例えば、従業員が不満をもって退職する、という情報は、残念なことに一人の同士が消え去るというだけの事実であ る。退職金がいくらだの、最終給与をどうするかだの、残された業務を誰がどう分担するか、という現実的な処理をすればよいのだ。
しかし、氷山の一角という表現があるように、実は他の情報と有機的な紐つけをすると、水面下に大きな問題が潜んでいることに気付くことがある。
経営者がよほど優秀でない限り、あらゆる情報を察知することは難しく、取巻きのブレーンたちがこのような情報に長けた人でなければならない所以である。
もしも、ブレーンが重要な情報に気付かなければ、社長は必ず判断を誤ることになるであろう。
②カネによる情報
さて、もうひとつ、今度は、質的に非常に誤りやすい判断を示しておこう。
それは、資金繰りと事業の採算との違いである。
笑っちゃいけない。世の中の中小企業は半数以上これを勘違いしている。
多くの経営者は金繰りで会社を回している。カネは会社の血液であり、資金繰りが重要であることは確かである。このことから、「キャッシュフロー経営」という言葉が世に蔓延し、多少いき過ぎのきらいがある。
キャッシュフロー経営は、もちろん悪いことではないが、キャッシュフローだけで経営を判断することは危険なことである。
な ぜなら、キャッシュフローは基本的にどんぶり勘定であり、カネがある、ない、そればかりを追い求めると、事業の分析や採算性を見つめる視点を見失ってしま う。企業が倒産の危機に瀕すると、社長は資金繰りだけで頭がいっぱいになり、冷静な判断を失ってしまうことが多い。その結果、うるさいところにだけお金を 払い、黙っているところには不義理をするようなことになる。そのうち、金融機関や得意先からの信用をまるで失ってしまうのだ。
冷静になって考えてみると、キャッシュフローをよくするには売上だけを回収して、仕入や給料、税金は払わなければよいわけで、そんな会社がいつまでも成り立つわけがない。
カネがあれば、確かに心強い。ついつい、会社の強さをカネの多い少ないで判断してしまうのだ。
カネがあるからもうかっている。うちは調子がいい。
カネがないからもうかっていない。うちは調子が悪い。
こんな判断は、まことに危険な判断なのである。
それを避けるには?
どんぶりでは決してみないこと。
事業を個別に紐つけする分析の視点を冷静にもちつづけること。
表面上の数字に説得されてはならない。数字に潜む裏を読む気持ちが大切である。
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CRMの大切さと有効性
私にとって、これほどおもしろいプログラムはいまだかつてない。
新規のお客様をリードに登録し、その営業過程を如実に記録し、コメントを書きとめ、結果を新規取引開始に移す。ときにはロストすることもある。
また、受注した業務を商談にまとめ、社内原価をリソースから引っ張り出して実行予算を作る。実行予算にしたがって任務を各社員に職務分担し、レビューで皆の結果を集約、報告書にまとめ、依頼者に納品する。実行予算と、現実のコストを比較する。
まさに、興奮の一言である。
ドキドキわくわく。
思ったとおりうまくいくだろうか、という不安感を抱えながらも、必死に業務をこなし、困難をはね返して予定以上の効果を上げる。いかに予算の中でお客のニーズを達成するか。これこそがプロの技である。
大きな会社を経営しろ、といきなり言われても、困ることが多いだろう。
しかし、セールスフォースの中にコンパクトにまとまったデータを処理するのなら話は別である。
こうやって、グループウェアを立体的に使用することによって、顧客情報がどんどん蓄積されていく。
今までの定性的情報は、限りなく定量的情報に変換され、
ヒトに帰属していた暗黙知は、組織に帰属する形式知に変わる。
ヒトが強くなるのではなく、組織が強くなる。
簡単に言うと、プロセスや業務水準がどんどん標準化し、誰がやってもクオリティの高さを維持しつつ、コストとデリバリーをまもることができるようになるわけだ。
中小企業にはこれが必要なのだ。
業務そのものに命をかけ、管理にはコストをかけない。
日本は、高度成長期をこれで乗り越えてきた。
しかし、それは、必ず利益が出たインフレ期の経営にすぎない。
デフレ期は、売上が必ずしもよいものとは限らない。
大切なのは、売上の中でコストをきちんと収め、デリバリーとクオリティを維持することができるかどうかである。
これには、管理が必要だ。
実は、CRMすらも、完全性のリスクを払拭し尽くすことは完全にはできないのだが、その話はまた今度にしよう。
当社には、極めて完成度の高いノウハウが蓄積されつつある。
一緒にやりましょう。ぜひ。
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