租税の根拠については、諸説あるが、通説となるのは、租税国家説なのだろう。
すなわち、国家は、国税庁の納税の歌の歌詞が語るように、国民の自由を守るために全体で取り組む事柄が小さい国家たりといえども存在しており、それを実現するために活動資金を調達せざるを得ない。制度的保障として私有財産制度を憲法29条1項が認めている以上、私人の自由な経済活動の成果からいくばくかの租税という形で需要を満たす。これが租税である。
私人の経済活動は自由に認められるものであり、そのゆえに租税は、必ずしも応益的なものではなく、私人の経済的な収入の享受からは切断されたところの課税標準となる(応能課税)。
租税は、29条1項の個人の財産権と先鋭な対立を見せる。国家は、財産権を奪うために、あらかじめ法律の定める課税要件により、あらかじめ法律で定める手続きに従い、租税を徴収しなければならない。これが租税法律主義と呼ばれているものである。
行政は、決まった法律を遵守する義務を負うから、租税は課税要件と手続きを満たす限り、必ず徴収されなければならない。しかし、その反面、法律を超える財産権の負担を国民に強制がなされることを見過ごすことも許されない。取るといったら、必ず取らなければならないと同時に、取らないといった負担は決して取らせてはいけないのである。
租税の立法管轄は、国によって自由だ。仮にアメリカがすべての日本国民はアメリカで納税する義務があるとアメリカの国会で定めたら、これを止めるすべは外交ルート以外にはないだろう。国境が維持されている限り、実際の執行はできないが、日本人がうっかりアメリカに入国したとたんに逮捕されて納税を迫られるということになる。中国がしきりに日本の一部を自国の領土であると主張している現状を考えると、多少絵空事でもない気がしてくる。いずれも租税条約によって、このような領土をまたいだ課税をすることができないと定められているので、国際法上の違法を帰結するのはもちろんであるが、現実に国家権力を抑えるということには別途困難が伴うというところは致し方ない。
それでも、アメリカが租税をかけてくるのを、日本政府は何とかする義務を負う。これは主権をかけた義務であると同時に、国民から租税をとるといった以上に取ってはならないからである。
国際的な会計業務を行っていると、いろいろ考えさせられることが多い。昨今のグローバル化の流れは、止められない。人の交流、物流、そしてどうしようもないのがインターネットだ。アマゾンで本を買う。アドビでダウンロードする。マイクロソフトと契約をする。アップル社と契約をする。デルでパソコンを買う。英語のリチゲーションソフトを購入する。ノートンを買う。eラーニングで勉強する。etc.
もはや、逃げることはできないのだ。
しかし、庶民を支える基盤はあまりに弱い。私たち国際会計人にも限界がある。人数も足りない。ハワイで会社を作り、サーバをテキサスに立て、日本でネット販売をする人たちに私たちは消費税の問題や、法人税の問題、PEの仕組みを一生懸命に説明しなければならない。タックスヘイブン税制などのCFC税制、移転価格税制。コーポレートインバージョン税制、いったいどうしたらよいのか。説明しなければ私たちがアカウンタビリティーにおいてサービスレベルを違反したことになるのか。有象無象に湧いて出るスキームがどれだけ会計・税務に負荷をかけるか、わかっているのか。
国税当局は、あとからやってくる。見つけると信賞必罰の体制が現在の税務調査だ。
OECDのBEPSレポートは、3年以内くらいで何らかの解決方法を見つけると約束している。
正直言って、早く助けてほしいのである。わかりやすく簡単に事務ができるように、お願いしたい。