うちの事務所は、税務調査の立ち会いもかなりの件数をこなしてきた。
もともと中堅規模の税理士事務所であろうから、そこそこ顧客の件数も多いし、優良な事業者も多い。
しかし、今月は参った。連続で6件も集中したのである!!
私は、24時間、365日予定を社員たちにWEB上で公開している。
今は、震災の影響などで、たいへんな時期であるから特に、予定は自由に入れてよいことにしていた。
はっと気付くと、いつの間にか11月の予定がとんでもないことになっていることに気付いたわけだ。
9月決算の法人が多いため、11月は役員会、株主総会のシーズンでもある。経営計画や、資金計画、次年度の予算編成など、もともと忙しいところへもってきて、社員旅行が組み込まれていた。
ここに税務調査の日程が6件加わる。私の11月の予定は、土曜日も日曜日も、祝日さえも黒く塗りつぶされた。
さすがの仕事の鬼もこれには閉口したものだ。
さすがに一件、12月に回してもらったが、12月は12月で、私が主催する金融懇話会という北陸税理士会の重要な行事が石川、福井、富山と三回開催される。日税連の会合が二回あり、忘年会はあるわ、12月16日まですでに予定は満タンである。
不景気のため、金融のあっせんもかなりおおい。私が紹介状を書いた融資は、ひと月で1億を超える。
さて、税務調査は経営者にとって怖いものだ。
どんな優良企業でも、一つや二つ、多少の問題点はある。
指摘する方は、国家権力を背景にしているから、思い付きのような指摘でも、決してただでは済まない。
嘘だろう?そんな思いがする指摘を次々に繰り出してくる。
あれはどうかな?これはどうかな…?
正しいと信じていても、考えると胃が痛くなってくるものである。
私は経営者の方々にいう。
信念をもって、経営をしてきたでしょう?
その信念を、ただ愚直に、誠実に、しかし、しっかりと調査官の方に説明しなさい。
それを法律論に私が翻訳してあげますから、心配しないでください。
世の中に、真実ほど強いものはない。
私は、確信している。
私は税理士として、信念をもって、その真実を申告書にしている。
ならば、その真実は簡単に揺るぐものではない。
真実と信念で組み立てられた帳簿は、鉄壁の申告になるはずである。
調査官の方は、
「先生には、口で勝てる気がしませんわ」
という。当たり前だ。真実を語って負けるようなら、それは八百長ではないか。
ひとたび、いいといったものは、資格に代えても通す。
経営者の方は、私を説得すればよい。私が納得するものならば、必ず税務調査でも納得してもらえる。
それがプロの税理士というものである。
税務調査は、怖いものだ。
後ろ暗いところがなくても、怖い。
私は、税理士法の調査も、普通の税務調査も、うけたことがある。だからよくわかる。
こわい、とおっしゃる経営者の方々に、ぜひお勧めしたい。
ふだんから、税理士と戦いなさい。税理士を説得しなさい。
税理士は、あなたのよきトレーナーである。
半信半疑でよいから、思い切ってぶつかってごらんなさい。
きっと感動することがあるはずだ。
忙しい一カ月だった。なんとか終わったのが不思議なくらいだ。
同僚の仲間たちの献身的な努力に心より感謝しなければならない。
第1週は、海外事業部の営業と、外注先との交流で、上海に飛ぶ。4日くらい、ほとんど寝なかった。私が酒で営業することはあまりないのだが、頑張った。
きょうは、本当に久しぶりに、むすめ二人とゆっくり過ごした。楽しかった。
朝は、勉強させ、12時になるや否や、うちっぱなしでゴルフの練習。
娘たちは「うっぷん晴れる!」と、スカスカ空振りしていた。私も一緒に空振りする。
次はバトミントンをしようと、古城公園に行ったら、貸切でここでも空振りに終わったが、 本屋にいったり、コンビニに行ったり、3人でカップラーメンを食べたり。 なんでもない、1日だったけれど、私にとっては命の休日だった。
3人である誓いを立てた。その内容は他言はできないが、パパとシーとミーの3人は、再びかつての悪ガキトリオに戻ったような気がして、涙が出るほどパパは嬉しかったのである。
脈絡がない文章だ。もうしわけない。想いが溢れると収拾がつかなくなる。 ああ。こんな時が無限に続くといい。 もうすぐ8月になる。時間を止めることはできない。明日は、会社の全体会議。私が鬼になる日である。
しばらく、考えあって、停止してきたブログでしたが、
また復活させてみようかと思い始めています。
思いのほか、反響があるときなど、かえって自分はなにさまなのだろう、などと反省したものでした。
鬼才、中島 敦の「山月記」をひさしぶりに読みました。
李徴は、私と異なり、博学才穎(はくがくさいえい)で、優れた人材でしたが、落ちぶれ方がどこか親しみを覚えてしまいます。
人間が虎になってしまうというのはモノのたとえ話でしょうが(ちなみに平井和正氏の小説は私はほとんど所有しています)、姿かたちが人間でも、実は虎ではないかと思えるような人もおられます。
哲学的な話題としては、人間と虎がどちらがよいかという問題もあるわけで、別に虎になったから落ちぶれたということでもないのかもしれません。
私についていえば、ここ数年間でさまざまな変化が起こっています。
① 昔よりも仕事に打ち込んでいます。本当に真剣勝負です。
② その分、思索をする時間が極端に減りました。
③ 勉強する時間は確保しているのですが、残念ながら範囲が広すぎ、実務的なレベルまでしかフォローできていません。本当はその奥に潜むテーマを研究するのが私の興味関心なのですが。研究というレベルで唯一存在しているのは、佐古田教授との国際租税法研究会でしょう。
④ 業務の中で、ITへの依存が大きくなってきました。これは誰もがそうなのでしょうが、アイパッドやら、アイフォンやら、グーグルやら、クラウドやらで、ある種便利になって効率性を高めながら、逆に浸透の度合いが深まっています。先日は、羽田空港からリモートで会社のパソコンに挿してあるカードを使用する本番テストに成功しました。
⑤ 知識が増え、高度な専門技術を身につければつけるほど、私に求められる内容がコミュニケーションなどの基盤的な部分に集中していくように思います。
⑥ 重いものをたくさん背負って、私もお客さまとともに十字架を背負います。こういうことはやはり何度やっても慣れないものです。読まれる人はイメージがわかないでしょうね。ときに寝られないこともありますよ。
崎山税理士事務所の路線を変更して以来、一心不乱に仕事に打ち込んでまいりました。
お客様たちからの信頼は、全体としてはどんどんアップしていることがいろいろな数字に表れています。
これを何とかして、組織の強さに変更すること。
ヒトの強さではなく、組織の強さに変え、業務を見える化し、プロセスを確立し、
最終的には、クライアントを感動させる装置にすること。
これが2代目である私の仕事なのです。
ここのところ、あまりいいことがない。
この私が、たった一人でスナックでうっぷん晴らしをするなんて、
いまだかつてありえなかったことである。
今日は、税理士会の理事会の前に、正副会長会に参加した。
名称を見ればお分かりのように、はえある北陸税理士会の中枢的意思決定機関である。
内容としては、
①銀行や公庫と税理士会の提携のあり方
②税理士の得意分野を積極的に作る試み
の2点について、最高意思決定機関の判断を仰ごうというものであった。
①については、スムーズに承認が下りたが、②については、「時間をかけて話し合おう」ということで、
継続審議事項とされてしまった。
これは、事実上の却下ということなのだろう。
私の現状認識は、次のようなものである。
第一に、現状、税理士たちは、結構厳しい経営環境にある。
情報システムが、簡単に構築できるようになり、帳簿を作るだけで専門家である、と言えた時代は終わった。
税理士が求められるのは、値段が安いか、別の高度な業務かどちらかである。
要するに、低価格路線で行くか、高付加価値路線で行くか、という究極の選択を迫られているわけだ。
当会計事務所は、両方の路線に対応できるように、舵を転換しつつあるわけだが、
やはりいろいろ難しい問題に直面しつつある。
他の古い会計事務所の中には、変化に対応できず、
もっと経済的に厳しい状況に追い込まれているところも少ないとは言えない。
残念ながら、税理士は、案外と経営が下手な人が多いのだ。
私のプランは、税理士会が各税理士に夢のキャリアパスを提示し、
特に、若い税理士さんに様々な路線をチョイスするレールを敷いてあげるというもの。
税理士か会全体として、優秀な専門家集団へと歩む道筋をつけたかったのである。
会として、おなじみの「税務・会計」という金太郎飴みたいなほこり臭い言葉から抜け出し、
「ベトナム進出なら国際税務に強い○○税理士を」
「会社の再建なら、企業再生に実績のある○○税理士を」
「実効性のある人事評価システムを作りませんか!BSCで優れたコンサル○○税理士」
「金融と資金繰りに強い○○税理士を会計参与に雇いませんか!」
「金融商品ならお任せ!○○税理士事務所」
「不動産の有効活用なら○○税理士事務所」
「企業買収実績14件の○○税理士事務所」
「医業に強い○○税理士事務所」
「公益認定はお済みですか?○○税理士事務所」
書けばきりがないが、自分の実績を誇りにしてもいいではないか。
第二に、 税理士は、継続業務ばかり狙っているが、単発請負業務の市場はまったく手薄である。
うちの事務所は、相続申告などの資産税業務が途切れたことはないが、
他の事務所は、単発業務などうちの事務所ほどやってはおるまい。
うちの事務所の強さには秘密があって、資産税業務が次々とやってくる仕組みが少しあるわけだ。
その秘密の一つは、 うちの事務所は、単発業務、下請け業務をこなす仕組みをもっているということ。
問い合わせがあった場合、見積書をさらっと作る。
必要な書類や、工程を惜しげもなく提供する。
最新の知識などにも精通しており、ネットなどで調べてくるお客さんにも決して慌てることはない。
スピード、フォロー、料金の明示、納税の相談、遺産分割の円滑化サポート、
このような気持ちの良い仕組みに触れたとき、依頼者は、とても頼もしく感じるはずである。
年次決算や、企業再生などの特殊業務も同じである。
実は、依頼者というのは、別の士業の方だったり、銀行だったりすることも多い。
税理士会は、古い「税務会計」という税理士固有の分野にこだわり、
新しい分野は個々の税理士に委ねているという。
しかし、いまどき、税務会計を頼みたいというクライアントがどれだけいるか。
税理士など、掃いて捨てるほどいるのだ。
そんな中で、クライアントが税理士を選ぶ基準とは何だろう。
変な本がたくさん本屋さんに売っているが、
そんなことは問題ではない。
商売の基本は、「人がほしがるものを売れ!」
税理士は、人がほしがるものを売らず、人が嫌がるものを無理やり買わせようとしているように
私には見えるのである。
多少馬鹿馬鹿しい気持ちではあるけれども、
私は、税理士会が好きだし、税理士たちはみな私の親しい友人だ。
若い税理士からは、私たちはどうしたらよいのか、などと相談を受けることもある。
うちの事務所にも、税理士志望のルーキーがいる。
また、税理士会全体が強くなることで私も恩恵を受けることもあろう。
個々ではなく、集団としてしか、できない政治的なものもある。
一肌も二肌も脱いで、税理士会の将来のために頑張ろう。
私は、私を買ってくださった高岡支部の税理士たちのためにも、
北陸税理士会を、できることなら、日本税理士連合会を変化させていく歯車になりたいのである。
税理士会が推奨分野を作る。
推奨分野を履修する要件を定める。
個々の税理士は、ステップアップ研修を夢をもって行う。
税理士会は、依頼業務に推薦税理士を派遣する。
実績が税理士会に蓄積される。
わからないかなあ?
私は、こうやって業務を拡大しているのである。
正副会長会では、私の案は、事実上、否決された。
たいへん残念だが、次のチャンスまでもうしばらく一人で頑張ることにする。
相続の切れ目がない。
これほどたくさんの相続税の申告をしたことはない。
とめどもなく、情け容赦なく、財産評価やら、相続税申告やら、仕事がとまらない。
相続税は、譲渡所得と並び、税務業務の中では最も困難といわれる花型業務である。
税務、といったものの、
その業務範囲は、実際には民法が入口ででんと腰を据え、
決して、税務だけで話が終わる代物ではない。
挙句の果てに、温泉権やら、農地法やら、都市計画法やら、
さまざまな法律があちこち顔を出すから、
よく考えないで、下手に手を出すと、クライアントに大けがをさせることになる。
今回の相続は、なんと法定相続人が不在のケースだった。
遺言書があり、受遺者はこれまた、宗教法人である。
その宗教法人からの依頼で、今回のケースに遭遇した。
被相続人は、「〇〇家歴史」などという書物が編纂されているほど、
いい家柄の方であるが、傍系では最後の生き残りである。
”The last of Mohican” という映画をふと思い出した。美しい映画だった。
おっと、脱線した。
そうそう、相続人がいないということで、
四十九日に御親族のそうそうたる面々の前で、スケジュールについてご説明したが、
その際、被相続人のお母さんが再婚しておられるところまで戸籍で確認していたので、ひょっとして子供(異父兄弟にあたるので相続人になる)がいるかもしれないという話をしていた。
そうしたら、本当にいたのである。
事実は小説よりも奇なり、という。
母の戸籍とは別に、不思議なことに赤ん坊が戸籍の筆頭者である戸籍謄本が見つかり、
あとから母親の戸籍に編入されていたのである。父親は不明。
戦時中は、日本もよほどたいへんだったのであろう。
親族の噂では、被相続人は、本当の子ではないかもしれないなどという話もうかがうが、
神ならぬ身、私は戸籍の通りに仕事をするしかない。
さて、遺書が家庭裁判所の検認を受けて、帰ってきたとしよう。
事務所としては、自筆証書遺言の形式に欠けるところもなさそうであるという結論に達した。
申告はどうするか?
異父兄弟は、遺留分がないから、
遺言が有効であれば、相続財産のすべては宗教法人に帰属する。
宗教法人は、寄付を受けても法人税の非課税である。
相続税は?
相続税も個人を名宛人とする租税であり、法人は原則として納税義務者にならない。
何か、こんなような事件をテレビでやっていたそうだが、
実は、このケースでは、所得税の問題となる。
所得税法に59条という条文があり、
個人から法人への経済的利益の移転を譲渡所得とすることとしているのだ。
もちろん、故人の財産に、譲渡所得になるような土地・株・自動車などが含まれていなければ、所得はないので関係ないが。
さて、今回の事件は、財産の確定がまだ終わっていない。
よって、準確定申告がどのようになるのかについてはまだ不明である。
しかし、相変わらず、うちの事務所に来る事件は、難事件が多いのである。
実は、遺産分割が簡単なはずの今回の事件は、
別にもっと恐ろしい問題を内包している。
私は、これ以上、ここで触れるつもりはないが、
崎山税理士事務所は、夜も寝られないのである。
疲れるな~。もう、3時だし。
泣き言を言いたくなる、つよしくんである。
こんな私を、どうか、許してください。>All
えらく難しい案件に遭遇している。
いくつもあるのだが、
なかんずく相続税の仕事はけっさくだ。
とうとう、おれおれ詐欺に間違われてしまった。
いきなりどこぞの税理士から電話があって、
お宅は先だって孤独死した金持ちの相続人の一人だ、
書類に実印をもらいたい-----
そんな話をあなたは信じるか?
実は私はつい先ほどそのような電話をして、
相手に、まじまじと、
お宅だったら信じますか?
と問われてしまった。
笑い話のような、それでいて、まぎれのない本当の話なのだが、
電話しながら、
私は自分がおれおれ詐欺をしているような錯覚にとらわれた。
確かに、怪しい。
とてつもなく、怪しい。
怪しいこと、この上ない。
自分は、生まれも育ちも富山県で、
怪しいものではありません、
赤祖父で税理士を営んでいるものです。
言えば言うほど、怪しく聞こえてくる。
電話の向こうで、困惑している様子が感じ取れ、
私は、苦笑いをするしかない。
最後まで、信じていただけず、結局、向こうからうちに適当に訪問していただくことに。
少しだけ、経緯を説明してみよう。
事の始まりは、大正時代である。
ある方が長男ではなかったので、婿入りされる。
しかし、いかなる事情か、出戻りして、また別のところに婿入りされる。
その時に、二人の姉妹が実子として届出され、数十年を経て、妹が今年の4月に亡くなった。
配偶者は死別、子はない。両親もとうに他界している。
相続権は、第3順位の兄弟姉妹ということになる。
ところが、実は、両親のうち、婿入りのお父さんは、いかなる事情か、実子届出の後、しばらくしてからまた離婚して、再婚され、これをあろうことかあと3回繰り返した。
都合、6回も結婚したことになる。
大変な苦労をして、戸籍をたどって行くうちに、一人だけ、相続人が残っていることが判明してしまった。
亡くなった妹とは、異母兄弟の関係にあることになる。
民法でいう、半血兄弟姉妹である。
相続分は、全血兄弟の半分ということになる。
わかってしまえば、別に難しいこともないが、調べるのがたいへんな事件であった。
過去形ではなく、これから遺産分割の協議もたいへんな難航を余儀なくされるであろう。
おれおれ詐欺騒動で、出鼻をくじかれ、すっかり気が重くなっている私である。
遺産分割協議は、相続人全員の合意のもとに作成されなければならない。
そして、それがなければ、登記もできないし、銀行口座や証券口座の凍結解除をすることも叶わない。
しかし、見ず知らずの、はっきりいって赤の他人である。
電話の向こうで、何度となく、「なんじゃそりゃあ?」
と、ため息をついておられたが、
そのようなかかわりあいになることすら危ぶまれる事件に相続権があるのが
わが民法のおかしなところでもある。
彼は、寝耳に水であったし、お姉さんに至っては、離婚して遠くなったお父さんが後で結婚を4回も繰り返しているなど、想像するはずもない。
いわゆる「寄与分」などで、若干配慮してあげないと、
半分の相続権というのすらもちょっと首を傾げたくなる気がする。
難事件が多い。
世が世だけに、厳しい解決を迫られることも多い。
お客様たちは、私に判断を委ねようとされる方が多くて、
とうに仕事に関して、食傷気味である。
つーかーれーたー
休ませてくれー。
2日、3日と県の試験研究施設の一つの監査におもむいた。
今日は、企業再生を依頼されたある飲食店の経営計画の策定会議、そして新規クライアントの建物移設のお手伝いで新湊へ、その後弁護士さんとクライアントの係争案件の打ち合わせ。
最近はすっかり仕事の内容が変化してきた。
私はいったい何の仕事をしているのだろう?
ときによくわからなくなる。
どこに行くのも、車の中でよく聞くのは、
カール・ウルフの Africa である。
もともとボズ・スキャッグスやTOTOが高校生の時に好きで、
といっても、友人の影響による請け売りだったのだが、
「アフリカ」は、TOTOの4番目のアルバムで全米大ヒットした曲である。
I bless the rains down in Africa~
アフリカの雨をたたえよう―
というフレーズがとても好きで、20年以上たった今もそらで口ずさめるほど
この曲が好きだった。
ドバイのカール・ウルフというアーティストがカバーしたというので
購入してみたのだが、原曲とまた趣が変わって今風にアレンジされており、
とてもクールでかっこいい。夏向きの涼しげな曲になっている。
アフリカの壮大な自然に雨が降る。
広大な砂漠、そしてサバンナ地帯。
ライオンやキリン、そしてアフリカゾウのために恵みの雨が降る。
水は生命の源泉であり、人もまた雨の恩恵に浴する。
オアシスは生物の都となり、さまざまな命を育むのである。
ブラッド・ダイヤモンドというデカプリオ主演の映画があるのをご存知の方もおられるだろう。
ショッキングな映像があちこちにあり、心臓の弱い方はやめた方がよいが、
おそらくは、アフリカの真実を物語る、恐ろしいドラマである。
人が無造作にマシンガン(イングラム?M2ライフル?カービン?)で撃たれ、
ぼろ屑のように倒れ、死んでいく。
子供も女もない。死体はそのまま朽ち果て、村が全滅する。
撃っているのは、笑いながら人を撃ち殺しているのは、
なんと小学生くらいの子供たちである。
洗脳され、殺人に慣れ、命を何とも思わなくなった子供たち。
命乞いも、金も、親子の情さえ彼らをとめることができない。
フィクションで片づけるにはあまりにも重い、世界がそこには存在していた。
ある試験研究施設の所長が、日本の厚生労働系の予算はほとんどが年金に向けられ、安全や健康にかけるお金が少ないから、日本では生命の価値が安いのだ、という趣旨のことをおっしゃった。
私は、ふとブラッド・ダイヤモンドの映画を思い出し、日本は幸せな国だな、と思ったのだった。
生命の価値。
私にはよくわからない。
危険な国に行くのはこわいからいやだ。
でも、身近な人たちがもしもいなくなるとしたら?
祖父母や義父のように、空しく息絶えていくとしたら?
ガンで死んだ中学の同級生、自殺した友人みたいに?
客観的な時価のような価値は私にはわからない。
しかし、身近な人をなくしたとき、
大切に飼っていた犬を失ったとき、インコを失ったときでさえ、
胸が空っぽになったような気がしたことを思い出す。
動かなくなるのだ。
そこに体があるのに、昨日までは笑い、涙ぐみ、話していた体が、
揺すっても、たたいても、起きなくなる。
眠っているように、静かに見えるけれども、
もう2度とここには帰ってこないのだ。
この喪失感こそが、主観的な生命の価値であろう。
失って初めて失ったものの重さが分かる。
人間とは愚かなものであるが、
その重さも感じてくれる人がないほど、あるいは重さを感じるべき人も一緒に殺されてしまうほど、
アフリカでは、生命の価値が軽いということになるのだろうか―
いろいろな思いを胸に、
私は壮大な「アフリカ」を口ずさむ。
日本では、生命の価値を感じることは幸い多くはない。
人間にできることはそれほど多くはないが、あるいは未知の危険には無駄かもしれないが、
監査で訪れた環境科学センターは
24時間、空気中の有害物質を監視し、流水、海水、地下水の有害物質を監視し、近隣の原子力発電所の放射線を監視している。職員の方々には頭が下がる思いがする。
生命の価値に対して、我々はそれなりに税金を投入しているのだ。
日本が安全な国だということの一つの証拠をみたような気がした。
私たちは日本に住むことによって、
生命という保護法益についてはある種の既得権益を手にしているわけだ。
あとは、「自由」だけを論じれば済む。
子供の頃から自由を切望し、しがらみを断ち切り、
あらゆるものから自由でありたいとそれだけを願ってきた。
悲しみに立ちすくむアフリカの人々に比べれば、
なんとぬくぬくした甘っちょろい考え方であろうか。
私にはアフガンでボランティアをするほどの勇気はない。
大切なものがここにたくさんあるのだし。
あくまで小市民な私である。
ダラダラと長くなってしまった。